こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
義両親の介護に加え、実家父の容体が刻々と悪化していた2009年から亡くなった2010年まで。
当時のブログ記事を紐解くと、おそらく10年の介護生活のうちでこの頃が一番大変な時期だったと思うのですが、過ぎてしまった今、意外なことにそれほど『大変だった』という記憶はなかったりします。
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この二人を抱えて自宅と父のところを行ったり来たりするのは容易なことではありません。
父が肝臓がんの手術をすることが決まり、そのための入院当日も朝早く家を出発したい私なのに、二人は思うようには動いてはくれません。
まだ義母も週2回ほどのデイサービス利用でしたし、頑固な義父相手にショートステイの利用など全く考えられなかった当時。
どうやって切りぬけたのか思い返してみると不思議な思いさえ浮かんでしまうのです。
あまり早くから父の入院を伝えると、病気のことでナーバスになっている実家父母の気持ちを逆なでしかねない義父を警戒して
父の入院を伝えたのはその前夜でした。
「実は明日、父が入院するんです」そう義父に伝えると
と、想定外な答えが返ってきたのです。
いつも自分中心で、嫁の言うことには逐一従わない。そんな義父が放ったこの言葉には一瞬、耳を疑いましたが、不安な気持ちで父の入院に赴こうとする私にとって心強い一言となりました。
考えてみればこの頃はまだ危なっかしいながらも義父は自分の足で歩けていました。
おそらく義母一人だったら留守番させるのも難しかったかもしれませんが、義父がいてくれたからこそ、私も家が空けられたのだと思います。
不思議なことに私が実家や父の病院へ頻繁に行き来していたこの1年前後は義父母に大した事件も起きず、私も落ち着いて父と最後の時を持てたのです。
もしかしたら義父は『嫁の一大事』を思い、自分たちにかかる面倒を極力減らそうと一生懸命気遣ってくれていたのかも知れません。
そういえばこんなエピソードもありました。
義母のおもらしの布団を干して父の病院へ出かけたある日、天気予報が外れて急に曇り空になってきたことがありました。
案の定、にわか雨が降ってきてしまい、万事休す。
多分、布団もシーツもびしょ濡れだろうと思いつつ、急いで帰ると何と干してあった洗濯ものも含めてすべて取り込んであったのです。
『赤の他人宣言』から少しずつ変わってきた義父。
前回の記事:「あなたはアカの他人」義父に対して飛び出た本音/山田あしゅら
彼の言動に腹を立てたり、思わぬ行動に振り回されたりすることはその後もあれこれありましたが、実に平穏だったこの1年の義実家の状態には、今でも不思議な思いとともに義父には心から感謝しているのです。
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