認知症の父と耳が聞こえない母とのドタバタ沖縄旅行。後になって思うこと「怒りすぎたね...ごめん」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:めぴ
性別:女
年齢:49
プロフィール:なるべく笑いに変えたい大阪人。まだまだ五十肩が治りません。

認知症の父と耳が聞こえない母とのドタバタ沖縄旅行。後になって思うこと「怒りすぎたね...ごめん」 32.jpg

4年前、45歳の私は、79歳の認知症の父、72歳の耳の聞こえない母と一緒に沖縄へ旅行しました。

帰り道、苦労してたどり着いた沖縄の空港で、母の荷物のサイズが引っかかりました。

計測し直すことになり、ハカリのところまで戻らなければいけません。

「私が行ってくるから、絶対にお父さんとここで待ってて。くれぐれも動かないで」

筆談で母に言い含めて、キャリーを持って私は小走りにそばを離れました。

行きは大丈夫だったんだから、と思いながら重量を測ったり色々とやっていると、なぜか私を呼ぶ声がします。

母だと気づいて振り返ると、そこには父の姿がありません。

嫌な予感がして、第一声「お父さんは?」と聞きました。

簡単な単語なら口の動きで理解できる母は、「『ここにじっとしといてね』と言って置いてきた」、と当たり前のように答えました。

一瞬で私はかぁーっと頭が熱くなりました。

父はその頃でも、自分が今沖縄にいること、季節は秋であることが理解できず、何度も何度も説明しなければいけなかったのです。

だからこそ絶対に1人にできなかった、なのに!

「なんで来たの⁉︎ 来ないでって言ったよね? お父さんどっか行っちゃたらどーすんのよ!」

当時母が覚えようとしていた手話も少し混ぜながら、私は母を責めました。

同時に、キョロキョロ周りを見たり、母が来た方向に首を伸ばしたりもしました。もしかして父が母についてきてないかと期待して。

「お父さん、大丈夫よ」

どうしてそんな根拠のないことが言えるのか分かりませんが、母はのん気でした。

「ちゃんと言ってきたから」

その言ったことを5分後には忘れてるやんか。

「なんで置いてきたかな!」

普段、耳の聞こえない母の前での独り言は私は大嫌いでしたが、この時は口から言葉が出ていくのが止められませんでした。

しかし、それよりも父です。

キャリーを引いて、母を急かし、とにかく最初にいた方へと走りました。

今いる場所がどこなのか分からないのに1人にされた父は、どんなに不安だろうか。

ウロウロしていてすれ違いになったらどうしよう? もしかして、空港を出てしまっていたら、どうやって探したらいいんだろう? 

頭の中でワァンワァンと音が鳴っているようでした。

放送で呼び出してもらおうか? いや、「どこどこのカウンターへお越しください」と言っても、父にはそれが分からないだろう。

もういっそ「お父さん! お父さん!」と叫びながら歩いたら、声で気づいてくれるだろうか。

そこまで考えましたが、流石に40半ばのおばさんにはできませんでした。

結局、あっけなく父は見つかり、心底ホッとした気持ちと、あんなに頼んだのに父を1人にした母に対する腹立ちと、感情が行ったり来たりしながら帰りの飛行機に乗ったのでした。

しかし落ち着いて振り返ると、母も、1人で手続きや何やとバタバタしている私に悪いと思ったのでしょう。

しかもどうやら自分の荷物が原因らしいと、責任を感じたに違いありません。

そう考えると、ちょっと怒りすぎたなと申し訳なくなりました。

帰宅してから、旅行に一部同行してくれた弟に、「あれから大変でさー...」と起こったことを話しました。

その時、弟が言ってくれた「そうやろうなぁ」にはとても気持ちがこもっていました。

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