<この体験記を書いた人>
ペンネーム:さくらみちこ
性別:女
年齢:53
プロフィール:辛い時、サポートしてくれる人がいると本当に心強いです。
2020年の春、利き腕が五十肩になった時のこと。
何とかやりきろうと、いつも通りに過ごしていたら、どんどん痛みが強くなり何もできない状態になりました。
左手で頑張ろうにも、これがなかなか難しい。
想像以上に私の左手は不器用だったのです。
そんなわけで、家事や仕事はおろか、お箸を持つことも、字を書くことも、入浴ですらままなりません。
それでも、なんとか工夫して乗り切るのが普段の私なのですが、この時ばかりはギブアップ。
「肩が痛くて何もできない」と夫に弱音を吐きました。
すると夫からは「何か手伝えることがあったら言ってね」と軽いリアクション。
しかし、目はパソコンに向かったままで、本気で聞いている様子じゃないのです。
この時、夫は大好きな格闘技を見ている最中だったので、タイミングが悪かっただけのこと。
それなのに、涙がポロポロ流れてきてしまいました。
この時私は、他にいくつかの問題を抱えていたので、きっと心が弱っていたのでしょう。
どんなにグッと我慢しても涙が全然止まらないのです。
私の様子に気づいた夫はビックリした様子で「ごめん、そんなに痛いの? 辛いの?」と聞いてきます。
それを受けて、私は更に大号泣。
「肩が痛くて何もできない。手が自由に動かせないの。それでも頑張らなきゃと思うけど、お洗濯を干してても掃除してても痛いし、包丁も使えない。だから助けて欲しいの」
そんな風に、嗚咽まで漏らしながら夫に自分の窮状を伝えてみました。
するとそこから夫の全力サポートがスタートしたのです。
...申し訳ないくらいの。
夫は普段からそれなりに家事を分担してくれていますが、出来ないことも多々あります。
出来ることはこれまで通り、不慣れなことについては、逐一私に質問しながらこなしてくれていました。
洗濯も、掃除も、食事も、後片付けも。
申し訳ないと思いつつ、早く治して普段の生活を手に入れるには今が肝心。
この時は甘えさせてもらうことにしました。
「助けてくれてありがとうね」
自分の気持ちを素直に伝えてみたら、夫のサポートは更にパワーアップ。
私のお世話まで頑張るようになりました。
「そこまでしなくても大丈夫。自分でできるから」
夫に伝えてみたのですが、一度火がついた夫のやる気はそう簡単に鎮火しません。
私の動きを逐一気にかけながら、私が頭上にあるものを取ろうとすれば素早くやってきて「何がいるの?」と取ってくれます。
私がお風呂から上ると、「俺に任せて」と、ドライヤーで髪を乾かしてくれます。
私が痛みでよく眠れないと知れば、「リラックス出来ると思って」と入浴剤を買ってきてくれます。
鎮痛剤を飲んでも効果が薄いと知れば、シップを貼ったり塗り薬を塗ってくれたり。
車の運転ができない私を「どこ行きたい?」と連れ出してくれたり、仕事帰りに夕飯を買ってきてくれたり。
こんな風に、夫は全力で私を守ろうとしてくれました。
すると、子供や孫も影響を受けたのでしょう。
20代後半の娘は家事の殆どを済ませて仕事に向うようになり、9歳の孫は「肩が冷えないように」と肩にストールをかけてくれました。
7歳の孫ですら、「俺に任せて」と言いながら、掃除を代わってくれました。
そんな生活がスタートして2カ月が経った頃、五十肩の痛みは随分治り、家事も仕事も普通にこなせるまでになりました。
途端に娘や孫は元の生活に。
しかし、夫は相変わらず、「全力サポート」体勢をとったままで、事あるごとに私の所にやってきては「俺に任せて」と言ってくれます。
そんな夫に「もう大丈夫。痛くないよ」と笑顔を向けながら、愛しさと感謝を感じています。
そして今度は私の番。
その時は「私に任せて」と言いたいと思います。
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