<この体験記を書いた人>
ペンネーム:いくら
性別:女
年齢:56
プロフィール:現在、自宅で子供相手の教室をやっています。わけあって、ホームセンターの副業を始めました。
いろいろあって離婚し、1人で娘を育てていた私。
別れた主人からの養育費が滞ってしまった頃に娘は専門学校に進学しました。
ギリギリの生活をしていた私たちは、入学金と前期の学費を合わせて110万円、その上、9月には後期の学費を60万円も払う事になり、生活はどん底に落ちていきました。
このままではいけないと娘はアルバイトを始め、私も副業を探し始めました。
私には本業があるので土日祝日しか働けず、求人を見ながら面接を受け続けましたが、50代というのもあり、稼げる仕事はなかなか見つかりませんでした。
そして、やっと決まったのがホームセンターのお仕事。
1日の目標金額には200円足りませんが、それでも有難いお仕事でした。
仕事はすぐにスタート。
研修が無く、その日によって違う売り場に入っていたので仕事を覚えられず、毎回、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
例えばDIYコーナーに入ったときの事。
ネジなどの細かい商品が100種類以上あり、頭の中は大混乱。
その上、DIYコーナーはお客様からの質問が多く、何度もベテランスタッフを呼びに行っていたもので、なかなか品出しが進みませんでした。
そんな私に、ベテランスタッフの方が「場所を覚えるまで大変だろうけど、すぐ慣れるから頑張って下さいね」と言ってくれ、温かい言葉にホッとしました。
日用品コーナーに入ったときは、5~10kgの業務用洗剤など重い商品を出すように言われました。
しかもそれがダンボールにまとめて入った状態なので、1箱あたり30kg~40kgの重さになります。
次から次へと運ばれる商品に圧倒され、「こんな所で働いていたら死んでしまう」と思うほどでした。
そして、それよりも苦痛だったのが、意地の悪いパートさんたち。
仕事が遅い私は、挨拶をしても無視され、「もっと早くできないの」とネチネチと文句を言われていました。
気にしていたらやっていけなくなるので、ただただ、出来る事を一生懸命にやり続けました。
様々な問題はありましたが、嫌な事はお給料の金額で納得できました。
副業なのに1日に1万円近く稼げる職場は、私にとってはかけがえのないお仕事なのです。
意地の悪いパートさん3人のうち1人は、暫くすると辞めていき、他の2人は日数を重ねていくごとに優しくなってきました。
始めたばかりの頃は仕事が辛くて仕方なかったのですが、身体的には1カ月程度で慣れ、体力が付いたからか、あまり疲れを感じなくなりました。
50歳を過ぎてもホームセンターのハードな仕事に慣れる事ができますし、若いスタッフの輪に入れるのだということを、この仕事を通して知ることができました。
1年以上経った今でも覚える事がたくさんあり大変ですが、これからも楽しく働いていこうと思います。
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