昔から何をしても「とろくさかった」私。ふと思い出す、12年前立ち会えなかった「父の臨終」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:カピバラさん
性別:女
年齢:52
プロフィール:そろそろ花粉がきになる季節。

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父が亡くなって12年ほど経ちます。

直接の死因は肺炎だったのですが、その数年前から色々な病気を併発していて、手術や入退院を繰り返していました。

定期的に通院していたので、晩年は足腰がおぼつかなくなった父を車で送り迎えすることもありました。

最期に入院した時はまだ子どもも小さく、小学生と幼稚園児だったので、帰ってくるのを待って小1時間かかる病院までお見舞いに通いました。

時間的に体力的にしんどかったのもあるのですが、何より日に日に衰えていく父の姿を目の当たりにすることが辛くて、毎日は行けませんでした。

けれど、日があくとさらに弱った姿を見ることになるので、いずれにしても病院へ行くのが辛い日々でした。

「完全看護だからそんなしょっちゅう来なくていいよ」

そう言う父。

でも、だんだん食事をとるにも手に力が入らず、口に持っていくのも大変そうでした。

看護師さんも毎食付きっ切りで面倒を見てくれるわけではないので、せめて1食くらいはちゃんと食べさせてあげたい。

自分を奮い立たせ、母や姉と相談して交代で通いました。

しかし、いよいよ症状が悪くなり、父の意識がなくなると、さらに病院へ行く足が遠のきました。

もう食事を介助する必要もなくなり、チューブから栄養を摂る父の姿を直視することができなかったのです。

いつか意識を取り戻し、話をしてくれる日がくることを願っていましたが、父が笑顔を見せてくれることは二度とありませんでした。

「ここ2〜3日だと思います。いつでも連絡が取れるようにしておいてください」

医師から言われても全く実感がわかず、なんの感情も持てませんでした。

そして、その日の朝がきました。

「いよいよ危ないみたい。すぐに病院へ来て」

母からの電話でそう告げられました。

たまたま休日で家にいた夫に伝え、夫は子どもたちに出かける支度をさせましたが、私は1人のろのろぐずぐずしていました。

一刻も早く向かわなくては、という気持ちと、いや、でも行きたくないという気持ちがないまぜになって足が動かなかったのです。

夫に「行かなくて大丈夫なの?」と心配されるくらい、あえて今しなくてもいいようなこと、花の水やりやアイロンがけなどをしていた私。

しまいには夫に腕を取られて車に押し込まれるようにして家を出ました。

病院に到着した時には、すでにたくさんのチューブや機械を外された父がいました。

後から母や姉に「もう少し早く来たら間に合ったのに」と言われましたが、その時の私にはそのタイミングしかなかったのです。

父の死に直面することができず、元気だった頃の父の姿だけを記憶していたかったのです。

そうして四十九日を終え、たまたま父の入院していた病院の前を車で通った時に......

初めてボロボロと涙が止まらなくなりました。

もうお見舞いに行くこともないんだ。

しんどがらずに毎日もっと会いに行けばよかった。

そう思ったのです。

ようやく父の死を受け入れられるようになったのだと思います。

昔から何をするのもとろくさくてよく父に笑われ、手伝ってもらっていた私。

「やっと今?」と父は笑って許してくれているでしょうか。

あれからもう12年、今になってふとそんなことを考えるのです。

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