「なんで最期に来てくれんかったんや!」と泣く父。母の死後、薄情だった母の実家とどうつきあう?

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:2年前に母を亡くした事を機に、母方の家族との関係に悩んでいます。

「なんで最期に来てくれんかったんや!」と泣く父。母の死後、薄情だった母の実家とどうつきあう? 1.jpg

2年前に母を亡くしました。

そのとき、私の祖母である母の母は90歳で、娘に先立たれた形になります。

母の家族と私達家族は、母が生きていたうちはそれなりにつきあってきましたが、正直、内心はあまり良く思っていませんでした。

とりわけ父においては相当我慢していたと思います。

というのも、祖母は昔の人ゆえ、長男=跡取り、長男を大事に、長男が一番と自身の息子をそれはそれは大事にしました。

あきらかに娘である母と「愛情の注ぎ具合」が違っていたのです。

ですが、母は6歳も離れていた長男である弟を大人になっても可愛がっていましたし、仲の良い姉弟という印象です。

母は高校生の頃、父親の事業が失敗したためその土地を離れ、苦労してきた人でした。

そんな中で父と出会って結婚し、幸せに暮らしてきましたが、父親の事業の失敗はしばらく尾を引いて、金銭的にも支援し、トラブルがあるごとに手を差し伸べていたようです。

父は「母の実家に」というより「母のため」と力を貸していたと思います。


さらに母は、生前足の悪い母(祖母)のところに行っては身の回りをサポートしたり、介護認定の手続きをしたり。

一方、叔父家族は歩いて5分くらいのところに住んでいるのに、あまり寄りついていませんでした。

祖母は母の病気が分かってから、一度も見舞いに来ることはありませんでした。

現実を目の当たりにすることを恐れていたと思います。

余命が1カ月半と言われた頃は、老いた祖母に伝えるのも...ということで黙っていましたが、叔父にだけは伝えました。

祖母には自宅で療養しているというと、毎日母に電話をしては一方的に「ガンにはあれを食べたらいい」とか、「なんで父と私達姉妹が病気に気づかなかったのか!」などいろいろ一方的に電話口で喋るのです。

母はそんな祖母の電話が辛くなったようで、最後のほうは私が間に入り、祖母に状況を毎日電話で伝えていました。

そして、母が亡くなる4時間前、危篤となったことを叔父に電話で告げましたが、母の元には来てくれず、会いに来たのは次の日、母が棺に入ってからでした。

充分時間があったのに、なぜ来てくれなかったのか腹立たしい思いでした。

聞けば、仕事でと言われましたが、姉が危篤で仕事を優先するのでしょうか?

さらに、仕事が済んだあと祖母のところへ行き、母(姉)の元に行こうと思ったら、祖母が取り乱したのだそうです。

ですが、叔父の家族には妻と成人した子ども3人もいます。

その人たちに任せて、母の元に来ることもできたんじゃないのでしょうか?

私は叔父を責めました。

そして、そういう一連の薄情な出来事に父は激怒し「母の家族を葬儀に呼ばない!」と宣言したのです。

いくらなんでもと説得しましたが、その考えが変わることはありませんでした。

母には申し訳なかったのですが、父も積年の恨みがこのときに湧き出たようで、母は祖母、叔父を大事に思って力を貸してきたのに「なんで最期に来てくれなかったんや!」と泣きながら訴えていました。

葬儀を終え、父は今後の供養もあいつらは呼ばない、家族だけですると言い切っています。

父の気持ちもわかります。

しかし、祖母も叔父も母の家族です。

母は仲良くしてほしいと思っているのではないでしょうか。

母の気持ちはどうなんだろう?

私だけでも祖母、叔父と連絡を取った方がいいのだろうか?

いろいろ思うことがあり、母に聞きたいといつも思っています。

それがいまだに心残りなのです。

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