<この体験記を書いた人>
ペンネーム:すずらん
性別:女
年齢:44
プロフィール:最愛の母を2年前に亡くし、母のことを考えない日はありません。
2年前に亡くなった母に病気が発覚してから、父は台所に立つことが増えました。
父はいわゆる団塊世代のど真ん中、高度経済成長期をかけぬけて、男は外で仕事、女は家を守るというのが当たり前と考えていた世代です。
私が子どもの頃は父が台所に立つ姿など見たことはありませんでした。
そんな父は定年を迎え、週3日程度の職に就き、母の作るお弁当を持って仕事にいく穏やかな日々を過ごしていました。
そして定年から5年が過ぎた頃、母の病気が発覚したのです。
青天の霹靂でした。
父は自分に出来ることは何でもしようと、一生懸命でした。
立たなかった台所にも立ち、カレーを作ってみたり、おでんを作ってみたり、それも大量に......。
加減がわからないからとにかく量が多く、父と母は1週間カレーとおでんを食べ続けていました。
おにぎりを握らせたら、手が大きいので育ち盛りが食べるような塩むすびに。
母に「お父さん! 大きすぎる!」と言われていました。
たまに実家に帰ると父が台所に立っていました。
決して手際がいいとは言えません。
台所に長く立っているわりに、出てくる品数は少なく、でも台所はすごい品数を作ったんじゃないかというくらいひっくり返っています。
見かねて手伝おうとしても拒否されてしまいます。
父は、ありがたいくらい動いてくれていました。
母は「お父さんの卵焼きと塩むすびがなかなかおいしいねん!」と褒めていました。
私もいただいたのですが、確かに形こそ悪いけれど、塩加減のいいおむすびでした。
父が作った料理を食べるなんて夢にも思いませんでした。
おそらく母も同じだったでしょう。
台所に立った父は少し腰が曲がり、母に「お父さん、背筋のばす!」と言われては腰を伸ばし、あっちウロウロ、こっちウロウロ。
そんなに調理道具使うほどでもないのに、常に何かを探し、母に聞いて「何回同じ事聞くの?」と言われながら、切ったり、剥いたり、炒めたり......。
不器用な姿だけど、母は笑みをこぼしながら、その姿を見ていました。
夏の暑さが少しずる和らぎだしたころ、母が余命1カ月半と告げられました。
父の意向で母には余命を告げず、自宅で一緒に過ごしました。
離れて暮らしていた私も毎週末、東京と大阪を行き来しました。
母はもともとよく食べる人で、作るのも食べるのも好きでした。
手際よく、魔法のようにあっと言う間に食事の用意してくれたのを覚えています。
最期まで母は台所に立ちたがっていました。
たくさんおいしいものを作ってくれた母の「できるだけ食べたい」というリクエストにこたえ、父はそれを大量に買ってきては食卓に並べました。
母はそんなに食べられる状態ではなかったけど、「おいしそう!」と言っては少し口をつけ、「また後で食べるわ」と言いました。
「食べられない」と絶対言わなかったのは、父への気遣いだったと思います。
その後、母は主治医の言った通り、余命宣告から1カ月半でこの世を去りました。
母の遺品整理中、携帯電話に保存されていた写真をみたら、そこには父が台所で料理をする姿が何枚も保存してありました。
明らかに不器用な手先、「お父さん、背筋伸ばして!」と今でも聞こえてきそうなくらい背中が曲がっている父の姿、母も作ったことないくらいの大量のカレーとおでん。
母が褒めた、形の悪い卵焼きと塩むすび......。
日に日に形になっていく卵焼きと塩むすびが、たくさん保存されていました。
母はどんな思いでこれを撮っていたのでしょう。
きっと嬉しかったに違いないと思います。
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