<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:2年前に母を亡くました。父は母を亡くした後も母に「しっかりして」と言われたからと、頑張ってくれていています。
私の父は現在72歳。2年前に最愛の妻を亡くしました。
母は3年9カ月病気と共に生き、67歳でこの世を去りました。
母の病気が発覚してから最期の日まで、父は母を支え続けました。
病気の告知を受けたとき、母と一緒だったのは父でした。
最初は長年悩まされている便秘と痔だと思ってようですが、最初の病院で大きな病院に行くことを勧められ、そこでの診断は大腸がんステージ4。
肝臓、肺への転移もありました。
青天の霹靂とはこういうことで、父は病院を出て車に乗ると母の前で「なんで俺やないんや」と泣き叫び、母は「お父さんしっかりしてよ~」と言ったとのことです。
そんな母は、最期の日まで一度も取り乱すことはありませんでした。
父は母がいないところでよく泣いていて、私はそんな父を見るのがつらかったです。
ですが、父は父なりに情報を集めようと必死でした。
あるとき父から、病院内の掲示板にあった癌患者の家族の集まるコミュニティに行ってみようかと相談されました。
父はそういうコミュニティにいくようなタイプではなかったので、驚きました。
ただ父なりにできることをしようと思っているのだろうと、胸が熱くなりました。
父には、母に絶対に言うなと口止めされていたので、母には最後まで言いませんでしたが、母が知ったら驚くような父の行動でした。
また、あるとき、母が癌について書かれた本を読みたいと、父に買ってくるようお願いしたことがありました。
父は母にその本を渡す前に自分で全部読み、母に渡すべきか判断してから渡すようにしていました。
時折私にも相談してきました。
ただ、ほとんどの本を母に渡すことはなく、「売り切れた」「なかった」と嘘をついた父。
母はおそらく、その嘘はわかっていたと思います。
とにかく父は母に余計な心配、不安を感じさせたくない一心だったのです。
でも、母の性格を考えると、そこに向き合う覚悟は母自身あったのではと思います。
父のやさしさが、病気と向き合おうとした母にとって本当に良かったのかはわかりませんが、これが父の精一杯でしたし、そういう人なのです。
父は診察に毎回付き添い、術後、抗がん剤治療でもずっと母の近くで不器用ながらも支え続けました。
病室で難しい顔をして座っていると気分が滅入ると、母に追い出されたこともありました。
2人を見てたら、父の方が痩せていくので、どちらが患者かわからなかったぐらいです。
父なりの全力の「支え」でした。
そして、母が亡くなり荼毘に付されるまでの間、父は母を見ようとしませんでした。
父は母が笑っている顔だけを目に焼き付けておきたかったようです。
私はいつまでも母から離れられませんでしたが、父は早く荼毘に付されてほしかったと、後に話していました。
互いの気持ちや思いを想像すると正解はないけれど、いい夫婦だったと心から思います。
父と母の娘に生まれてきて、本当によかったです。
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