夫の祖母の隣家で暮らした7年の日々。最期まで人としての手本だった人生の大先輩を尊敬しています

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:はるかの
性別:女
年齢:43
プロフィール:夫と中学生の息子と暮らすパート主婦。

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十数年ほど前の話です。

私たち夫婦は結婚した当初から7年ほど、主人の祖母(当時80代後半)の隣家で暮らしました。

結婚後の住まいを検討していたときに、義母(当時60代)から「一人暮らしをしている母が心配だから、空き家になっている隣の家に住んでくれないか」と提案があったからです。

祖母は優しく穏やかな性格で、料理好きなとてもいい人でした。

私たち夫婦も「様子を見に行く」という使命感などではなく、ただ祖母と話したくて、よく家に遊びに行っていました。

80代後半でも祖母はとても元気で、毎年娘家族とハワイに行っているほどでした。

食べることも大好きで、いつも冷蔵庫にたくさん作り置きをして、毎日の食事を楽しんでいました。

きっとそれが元気と長生きの源だったのだと思います。

祖母は戦時中の貴重な話も聞かせくれました。

祖母の夫は医師で、戦時中は軍医として家族で大連に渡っていたそうです。

空襲警報が鳴り響く中で出産した話、現地の人からお米を買うと、重さを誤魔化すために小石が混ぜられていたため、より分けるのが大変だったという話。

終戦後にまだ幼い子とともに命からがら帰国した話など、今では考えられないような過酷な体験を教えてくれました。

祖母は裕福な家庭で育ち、夫も開業医という何不自由ない暮らしをしてきたにもかかわらず、物を大切にする、親切で謙虚な人でした。

祖母がそんな素敵な人だったのは、もともとの性格はもちろんですが、過酷な体験があったからかもしれません。

祖母の隣に住んでいて良かったことは他にもありました。

それは、私たち家族と義父母が会うときのちょうどいい拠点になっていたことです。

子どもが産まれてから義父母と会う機会も格段に増えたのですが、主人の実家や我が家に集まるとお互い気を使うので、自然と隣の祖母の家に集まるのが定番になっていました。

祖母もいつも自然体で迎えてくれるので、みんなとても居心地がよかったのだと思います。

そんなみんなに慕われ愛された祖母も、5年前に94歳で他界しました。

直前まで自宅で暮らし、掃除も洗濯も料理も自分でして、たった3日の入院だけで眠るように亡くなった祖母。

娘たちや孫たちに迷惑をかけまいと根っからの思いやりと優しさを見せてくれた、祖母らしい最期だったと感じています。

私も、実の祖母ではないにもかかわらず、お葬式のときには涙が止まらなかったのを覚えています。

そして、5年経った今でも「おばあちゃんとここに行ったね」とか「おばあちゃんのあの料理食べたいね」などと、事あるごとに祖母の話題が出ます。

優しく穏やかな人柄でみんなに愛され、最後まで人としてのお手本を見せてくれた祖母は、私たちの心の中で今も生き続けているのです。

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