娘が「家を出たい」とまで...。母、私、娘のイライラが充満する「女三人の同居生活」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ゆらら
性別:女
年齢:52
プロフィール:30歳の娘と二人で暮らしていましたが、3年前に父が他界し75歳の母と同居を始めました。

娘が「家を出たい」とまで...。母、私、娘のイライラが充満する「女三人の同居生活」 pixta_70956383_S.jpg

私の母(娘にとっては祖母)と娘はそりが合いません。

お喋りで何でも自分の話に持って行ってしまう母のことを、私が疎ましく思っていたことも良くなかったと思います。

ついつい娘の前で母のことを愚痴ってしまうことがあり、娘がすっかり私よりになっていってしまったのかもしれません。

3年前に父が亡くなり、しばらくの間、母は一人暮らしでした。

その時も「たまには一緒にご飯を食べよう」とか「うちで泊めてあげよう」と言いましたが、娘はなかなか良い顔をしませんでした。

私は流石にずっと母を1人にするのは気掛かりで、時々母の元に行きお茶を飲んだりして話し相手になりましたが、やっぱり止まらないお喋りに疲れてしまいました。

しばらく別々の暮らしでしたが、お正月に集まった親戚などから、母を1人にするなとか、一緒に暮らして安心させてあげたらと言われ、結局同居するしかない流れになっていきました。

娘は周りから説得され渋々という感じで、母、私、娘の同居を始めましたが、実家に入って直ぐにトラブルは続出しました。

とにかく母は朝から晩まで喋りっ放し。

更にご飯だけでなく、お茶も3人揃って飲もうとか、電気代が勿体ないから一緒にテレビを見ようとか、何でも「一緒に」と言って来る母。

娘はイライラが止まらず、「家を出たい」「おばあちゃんとは暮らせない」と怒ったり泣いたり大変でした。

私が母に強く言えない分、娘は「ママが言えないなら私が」と容赦なく不満をぶつけます。

ところが母は言われた時は「ごめんね、気を付けるね」と落ち込んだように見えるのですが、あっという間にいつもの母に戻ってしまいます。

当たり前ですが、長く生きてきたのですから性格も簡単に変わるわけがありません。

でも娘はそんな母を受け入れられません。

2人の間で私は神経を擦り減らし、とうとう脱毛症になってしまいました。

少し状況が変わったのはそのことを2人に話した時から。

母はお喋りに気を付けたり、何でも一緒にと言わなくなりました。

娘は相変わらずなように見えますが、少しはイライラを我慢しているように思えました。

私は2人の間で思い悩まないよう気を付けつつ通院する生活になりました。

ところがまだ別のトラブルが起きたのです。

母は食べ物に対する執着が強く、誰かが美味しそうに食べているのを見ると「今直ぐ自分も食べたい!」と思ってしまいます。

私が買って来たお菓子などは、食べたいと言われれば分けて食べるのですが、娘はそれが許せないようなのです。

私は食べ物の好き嫌いが多いのですが、娘はそれがあまりなく、しかも気に入ったら延々同じ物を飽きずに食べ続ける性格。

実は母も同じなのです。

そして2人ともお菓子は果物のゼリーやプリン、ご飯は肉料理が大好き。

好みが同じなだけに余計にぶつかってしまうのです。

「おばあちゃんにはあげないからね!」

娘は自分で買って来たものを冷蔵庫に入れるのを隣で見ている母に、ピシャリと言います。

母は自分で気付いていませんが、「それってどんな味?」「美味しそうだね、どこで買ったの?」と、私でも少し引いてしまうほど食べたい気持ちが溢れているからです。

しかし娘は負けていません。

「食い意地が張っている。恥ずかしい。絶対分けてあげない!」

そういって跳ね返します。

そんな状況がほぼ毎日、おやつの時間や晩ご飯の時間に繰り返され、時にはお皿に残ったおかずの最後の一口分で空気がピリついたりするのです。

こんな毎日がいつまで続くのかと思うと疲れます。

以前のように髪が抜けるほどのストレスはありませんが、穏やかに和やかに食事ができる生活は程遠いなと、溜め息がこぼれる毎日です。

関連の体験記:息子の同級生が連日我が家で夕食。自称モデルの母親はSNSで......!
関連の体験記:ああ、見てしまった...私が介護する86歳の義母が、介護を手伝ってくれない義姉に「こっそりお金を渡す姿」
関連の体験記:「手伝いますよ」のひと言が命取り...44歳、義実家の町内会で「若手」と重宝される私の葛藤

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP