認知症でたとえ何もできなくなっても、生きているだけで役に立てている/岸見一郎「老後に備えない生き方」

『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「病気と向き合う」です。

認知症でたとえ何もできなくなっても、生きているだけで役に立てている/岸見一郎「老後に備えない生き方」 pixta_34624774_S.jpg前の記事「いつ癌になるかは分からない。それでもできることはある/岸見一郎「老後に備えない生き方」」はこちら。

 

認知症とはどんな病気か

「認知症になれば自分がわからなくなるらしいので、この病気にならないためにどんなことに気をつけていけば防げるか知りたい」

この病気もまだわかっていないことが多い。何をすれば予防できるかもわからない。だから、前の相談と同じく、先のことを考えて不安にならず、今日を楽しんで生きてほしい。

「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発した長谷川和夫医師が、自分が認知症を発症したことを公表し、それがどういう病気かを説明している(産経新聞、2018年4月4日)。親が認知症になった時、言動から何が親に起こっているかを想像することはできるが、実際にどんなことが起こっているかはわからないので、貴重な証言である。

長谷川医師によれば、まず時間の観念が薄くなる。

「今日が何月何日か、日めくりカレンダーで確認しても納得できなくて、何回も確認したのが始まり」

これは既に多くの人が経験したことがあるかもしれない。働いている時であれば今日が何月何日かは絶対に知っていなければならなかったが、家で生活するようになると必ずしも必要ではない情報である。知っている必要がなければ、わからなくなるのも当然である。お盆や正月などの長い休みの時も日付がわからなくなる経験をした人は多いのではないか。

私の友人は昔は電話の番号を2000件記憶しており、電話をかける時に電話帳を見る必要がなかった。ところが、今のスマートフォンは名前を呼び出せばすぐに電話をかけられるようになったので、電話番号を覚えられなくなったという。正確には覚える必要がなくなったということである。

「また、出かけた後に『鍵をかけたかな』と、家に戻って確認する。その後、また確認したくなる。それを何回も繰り返し、これはおかしい、自分はアルツハイマー病じゃないかと思った」

これも、多くの人が一度は経験したことがあるだろう。出かけてから、火をちゃんと消したか気になって家に戻ったことは私もある。大抵は、無意識できちんと火を消し、鍵もかけているのだが、何か他のことに気を取られていたり、薬を飲むことのように毎日繰り返す行為には意識が向かないので、記憶に残らないことがある。

 

自分が認知症になってどう感じたかという問いに長谷川医師は次のように答えている。

「認知症になった自分とそうじゃなかった自分には、そんなに大きな差がない。連続性があるという感じがするんだ」

ということは、認知症になっても自分がわからなくなるわけではないということである。連続性があるというのは、小さい時と自分は姿、形は変わったとしても、あの頃と今の自分は同じだと思えるということである。今も自分は子どもの頃の自分と同じであると思えるとすれば、そのような連続性を保証する働き、私を私たらしめている働きを「人格」という。

 

忘れることを恐れない

私は多くの人の相談に与(あずか)るが、実のところ、どんな話をしたか覚えていないことがある。後になってあの時もらった助言が有用でありがたかったといわれても、さて、一体どんな助言をしたかを少しも思い出せないのである。

しかし、きっとその時に的確なことをいったから喜んでもらっているはずなので、忘れることを恐れないようにしようと思っている。カウンセリングに限らず、話していることを次の瞬間に忘れるようなことになっても、その時々はきちんと話せているはずだ。

それでも、前に助言をしたのはたしかに私自身であって、その時の自分と今の自分には連続性がある。あれやこれやの記憶を失うことは人格の連続性とは関係がない。

ちょうど人生が過去もなく未来もなく今ここだけを生きるしかないのと同じである。

認知症になった私の父は過去を失ってしまった。戦争に行ったことは覚えているのに、四半世紀、妻(私の母)と共に暮らしたことは忘れた。今し方のことも忘れた。食事をしたばかりなのに、「食事はまだか」とたずねるまでになった。

しかし、遠い過去や直近のことを忘れてしまっても父は父だった。父の人格の連続性は、記憶の有無とは関係がなく、保持されていたのである。

長谷川医師は、認知症になった自分とそうでなかった自分に大きな差がないということを受けて次のようにいっている。

「だから、認知症じゃない人が認知症の人に接するときは、自分と同じ人だと思って接した方がいいと思う。目線を同じ高さに、ということ。認知症だからといって、特別な待遇はしない。自分と同じレベルだ。それが(認知症の人を尊重し、中心に置く)
パーソン・センタード・ケアだろうと思う」

親やパートナーが認知症を患い、今し方のことを忘れるようになったとしても、以前と同じように接すればいいということである。私の親に「えらいねえ」という言葉をかけた医療者がいた。もしも父が認知症ではなくかくしゃくとしていれば、決してそんな言葉を発したはずはない。父は何もわからないと思っているからほめたに違いない。

しかし、長谷川医師のいうよ うに病気の前後で差がないのだから、言葉や態度を変えてはいけないのである。

 

他者の支え

これからどのように生活したいか。長谷川医師は次のように答えた。

「他の人からの支えを受けなければ、何もできない。そういう気持ちを持って、お願いしながらやっていく。未来は不透明だと覚悟して、腹をくくって一日一日を大切に生きていく。自分のできる範囲で、人の役に立つことをやってみようと思う」

他者からの支えは必要だ。まわりの人から支えられることをためらってはいけない。嬉々として支えてもらっていると信頼しなければならない。病気の家族を支えてきた人は、時には大変なことだと思ったこともあっただろうが、苦痛に感じるばかりではないはずである。

「未来は不透明だと覚悟」をすると長谷川医師はいっている。たしかにその通りだが「不透明」だから怖いことばかりが待ち受けているとは考えなくていいだろう。

「自分のできる範囲で、人の役に立つことをやってみようと思う」という言葉に感動した。

認知症を患っていた私の友人の母親は、毎晩必ず洗濯物を畳んだ。やがてきちんと畳めなくなったが、友人はそのことで親を責めたりせずに「ありがとう」と感謝した。

家族は親やパートナーがたとえ何もできなくなっても、生きているだけで役に立てていると伝えたい。

最後に、認知症を公にすることで伝えたいことがあるかという問いに長谷川医師は次のように答えている。

「非常に重要なのは、生きていることの尊さ。全世界の何十億人の中で、僕と同じ人生を生きている人は誰もいない。だから尊い。自分自身のことを尊いというのはおこがましいけれど、それはあなたにも、皆さんにもいえる。一人一人が、みんな尊い存在であるということを、知らなくちゃいけない。僕はこれからも明るい気持ちで、笑うことを大切にしていく」

私は病気の親やパートナーを理想から引き算して見てはいけないと思う。病気であろうとなかろうとありのままを受け入れていきたい。

前回見たように、笑いは「喜びの要石」であり、喜びは「人と人とを結びつける情動」である(アドラー『性格の心理学』 ※アルフレッド・アドラー。1870~1937年。オーストリア出身の精神科医、心理学者)。深刻にならずに、毎日を大切に生きたい。

 

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。

 

 

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年2月号に掲載の情報です。

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