仕事や人間関係がうまくいかない...「もしかして自分は大人の発達障害なのでは?」と悩む人が増えています。しかし、その解決策を具体的に示した本は少ないのが現状です。
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儀礼的雑談とは通信プロトコルの相互確認である
僕は雑談が人生においてずっと苦手でした。
ADHD的な「衝動的に喋ってしまう、喋りだしたら止まらない」と、いかにもASD的な「理屈重視、感情・共感の軽視」の両方を併せ持っておりまして、「雑談」にはほとほと苦労してきました。ADHD傾向の強い方、特に多動性と衝動性が前に出ているタイプの人にありがちなことですが、「喋りだしたら止まらない」、これは本当に厄介です。独演会をやっているか、あるいは会話からはぐれて靴の先を眺めて時間を潰しているかどちらかしかない、そういう人生を送ってきた人は結構多いのではないでしょうか。僕自身この典型例です。
「雑談ができれば人生はある程度うまくいく」と言っても過言ではないと僕は思っています。というのも、人間というのは「雑談」を経てその人間がコミュニケーション可能な相手なのか、そうでないのかを測っている節が大変強くあります。共有する話題も用件も全くないところで発生するある種儀礼的なコミュニケーションは、お互いが対話可能かの試し合いです。これが「できない」と認識されると、それ以上の深いコミュニケーションをとるのは往々にして難しくなるでしょう。
雑談はよくキャッチボールに喩えられます。これは実際優秀な比喩だと思います。僕は、キャッチボールという遊びが大嫌いです。そもそもADHDにありがちな動作性の悪さを持っているので球技が大嫌いというのもあるのですが、それ以上にボールを投げてキャッチする、またボールを投げ返す、この繰り返しのどこに面白みがあるのかいまだにわかりません。
しかし、雑談の基礎となる部分はまさに「面白みのなさ」にあると思います。何のゲーム性もなく「ボールを投げて、キャッチしてもらい、また投げ返してもらう」この繰り返しそのものが、人間同士が「コミュニケーション可能」という信号をお互いに出し合う儀式なのです。通信プロトコルの相互確認です。
「雑談とは議論もしくは情報の交換であるべきだ。無内容な会話などしたくない」、こんな気持ちを持っている人は少なくないのではないでしょうか。そして、相手にいきなり強烈な話題を叩き込みコミュニケーションが断絶する。これは僕も繰り返して来た失敗です。通信を開くことに失敗しているのです。いきなり剛速球を投げすぎなんです。雑談は、基本的に「議論」でも「意見交換」でも「情報交換」でもないのです。
とにかく同意で受けろ──言葉を拾う
具体例で考えてみましょう。次の例を見てください。
【良い例】
A「おはようございます」
B「おはようございます」
A「いやぁ、いい天気ですね(話題の提起)」
B「本当ですね(同意)、今年はカラ梅雨になるんですかねぇ(話題の提起)」
A「雨が降らないのはありがたいけど(同意)、あんまり降らないとそれはそれでねぇ(話題の提起)」
B「水不足はいろいろ大変ですからね(同意)」
【ダメな例】
A「おはようございます」
B「......おはようございます(小声でうつむきながら)」
A「いやぁ、いい天気ですね(話題の提起)」
B「暑いです(不同意)」
A「暑くなりましたねぇ(同意)、雨も降りませんし(話題の提起)」
B「そうですね」
「良い例」と「ダメな例」の一番の違い、それは、BがAに対して同意しているかどうかです。