すっきり起きれない、いびきがうるさくなったなど、歳を重ねてくると、誰でも大小さまざまな「睡眠」の悩みを抱えます。ただ、その悪い睡眠を放っておくと、思考力や集中力の低下を招き、仕事や生活が不安定になる恐れも。そこで「睡眠を変えれば人生が変わる」と説く医学博士・田中俊一さんの著書『45歳からは「眠り方」を変えなさい』(文響社)から、脳と体を老け込ませる「睡眠負債」をリセットする方法を連載形式でお届けします。
3時間睡眠の日々が、私にもたらしたもの
私は現在、7つの睡眠代謝専門のクリニックを運営し、各企業や自治体で皆さんの睡眠指導にあたっていますが、ずっと「睡眠優等生」だったわけではありません。
それどころか、30代の頃の睡眠はひどいものでした。1日の平均睡眠時間は、3時間。
医者になったのが30歳だった私にとって、その頃は、しなければならないことが多すぎました。
起きていれば、仕事はできるし、本は読めるし、人と会える。
できるだけ睡眠時間を削って起きているほうが「合理的」と考えていたのです。
「寝ている時間がもったいなかった」のですね。
そんな3時間睡眠の生活を10年以上続けました。
30代というのはまだまだ体力もありますし、仕事も充実していましたから、「寝なくても平気」と思っていました。
健康診断も定期的に受けていましたが、特にこれといった問題はありませんでした。
ただ、ひとつだけ、気になる数値がありました。
それが「脈拍」です。
他の人と比べて、脈が明らかに速かったのです。
そして、血圧もいつもやや高めでした。
しかし当時は、「脈がずいぶん速いな」と思っただけで、それがどんな意味を持つのかを考えることはありませんでした。
まさに私自身が、「3時間睡眠で大丈夫。睡眠は短いくらいのほうが、調子がいい」「7時間とか8時間の睡眠は、時間のある人がすること」くらいに思っていたのです。
その「脈の速さ」が自分の寿命を縮めることだと気がついたのは、ずっと後のことです。
心臓は、巻き戻せない命のタイマー
私たちの体はそれぞれ、様々な個性があります。
例えば身長が高かったり、骨格ががっしりしていたり......といった具合です。
しかし、人間の個体差は、他の生物と比べるとほんの小さなもの。
「人間そのもの」を鳥瞰的に捉えてみると、体というのは、私たちが思っている以上に、「機械的」にデザインされています。
例えば、関節の構造はほとんどの方が同じですし、内臓の位置や働きも一緒です。
そして心臓も、「一生のうちに脈打つ回数」が人類共通でおおよそ決まっており、それは「1日9万回」で「120年間」、一生の間にだいたい「40億回」くらいだと考えられています。
これは、1分間に換算すると、約「60回」。
私たちの心臓は、安静時に1分間に約60回刻む、というルールをもとに、生きている限り、脈打ち続けているのです(ただし、途中で大病をしたり、心機能に異常が見られた場合を除きます)。
なお、子どもの頃は心臓が小さいため、大人よりも体に血液をせっせと送り出さなければなりませんから脈は速くなります。
「人類のグランドデザインが寿命120年」というのは、これまで多くの研究論文や医学書を読んできた中で導き出した数字で、明確な根拠はありません。
ただ、「世界の長寿者ランキング」を見ても116歳や117歳で亡くなる方が多く、そう大きくずれていることはないと思います。
116歳、117歳まで生きられた人というのは、大きな病気や事故にあわなかっただけでなく、鼓動をムダ遣いすることなく生きてきた方なのでしょう。
眠らないと、寿命を刻むタイマーが加速する
最初に、若い頃の私の心臓の鼓動が速かった、というお話をしました。
これは、私に限ったことではありません。
私のところに来る患者さんの脈を測ってみると、皆さん、驚くほどの高い数値ばかりです。
1分間の脈が70、80は当たり前。90以上の人もざらにいます。
長年の診察でわかってきたことなのですが、睡眠不足になると、私たちの脈拍は、ぐんと速くなる。
例えば先日、私のところに受診に来たGさん(研究者、46歳、男性)。
この方はまさに、「毎日5時間寝るのが、一番体調がいい」と公言されていました。
そこで、1週間、毎朝起きてすぐ、布団から出る前に脈拍を測ってもらいました。
つまり安静時の脈拍を測ってもらったわけですが、その平均値は90でした。
90の脈拍というのは、標準値60と比べると5割増です。
ということは、安静にしている状態で、毎日5割増しで、心臓のビートの回数を消費しているということになります。
脈の増減は、基本的に、私たちの行動や動作と連動しています。
例えば、走ったりジャンプしたり、というように体を大きく動かせば脈は自然と増えますし、静かにイスに座って本を読んでいたり横になって寝ているときは脈が減ります。
これは、人間の活動を支えるシステムですから、動作に伴って脈が増えるのは、とても自然で健康的です。
しかし、このGさんで問題なのは、運動していないとき、特に朝起床直後でも基本的なビートが速いということです。
ビートの消費が速いということは、その分、寿命が削られるということ。
120歳の寿命に60/90を掛けると、Gさんの最大寿命は、計算上80歳ということになります。
さらに、その80年という寿命は、様々な病気やストレスによって削られていきます。
Gさんがこのままの生活をしている限り、普通に考えると70代で死亡する可能性が高くなってしまうわけです。
「これまで、脈拍をそんなふうに考えたこともありませんでした」とGさんはおっしゃいます。
しかし、これはGさんだけの話ではありません。
「脈拍=命の時計」だという考え方を持っている人は非常に少なく、そのため皆さんはムダに脈を打たせて、命を削ってしまっているわけです。
睡眠負債は加速度的に増える
これまで私は、10年以上にわたって10万件以上、睡眠時間と脈拍の関係を見てきました。
「睡眠不足は、人の脈拍を速める」という発見は、その結果を統計的に処理していく中で出てきた結論です。
毎日の睡眠が5時間を切ると、普通より脈拍が20くらい、上がります。
毎分、人より20回多く心臓が働いているわけですから、それを24時間365日、何年も繰り返すと、
20回×60分×24時間×365日×1年、2年、3年......
と、どんどん心拍数を積み増していくことになります。
年数を重ねるごとにその影響は大きくなり、また取り戻すのが難しくなるのはいうまでもありません。
睡眠不足がなぜ人生を「早送り」させるのか
でも、なぜ寝る時間が短いと、脈が速くなってしまうのでしょうか?
その理由は、人類のこれまでの歴史を振り返ると見えてきます。
私たち人類は、かつて、大型肉食動物に捕食される側にいました。
そんな私たちが睡眠を削らなければいけない主なタイミングは、大型肉食動物から食べられてしまう危険性があるとき。
つまり、睡眠不足と外敵の存在は、かなり密接なのです。
睡眠不足ということは、つまり命が危険なときということになりますから、そのため私たちに体には、二重にも、三重にも「寝不足でも寝ない」ようにするためのシステムが備わっているのです。
脳内覚醒物質「オレキシン」
そのうちのひとつが、覚醒作用を持つ「オレキシン」。
覚醒剤にも相当する、強力な脳内覚醒物質です。
私たちが眠くなると、脳は「危険な状況なのだ」と判断します。
つまり、「何があっても寝ないようにしなければ」と、備える姿勢をとるのです。
そうなったときに分泌される最重要物質がこの「オレキシン」です。
睡眠が足りなかったり、徹夜明けのような場合でも、頭が冴えている、という経験がある方も多いでしょう。
特に、締め切り間際で切羽詰まっていたりすると、脳が覚醒して、目がらんらんとして......となりますね。
これがオレキシンの作用です。
このオレキシンという化合物の覚醒以外の強力な作用は、脈を速くすることと、食欲を増すこと。
オレキシンは「眠い時でも活動量をアップさせるための物質」ですから、たくさん食べさせて、体中に血液をどんどん送り込んで、体を無理矢理にでも活動モードに持っていくわけです。
そのため、睡眠が不足すると脈拍は速くなり、さらには食べすぎて太る、というわけです。
ストレス物質「アドレナリン」
もうひとつ、睡眠不足時に脳内で分泌される重要な物質が「アドレナリン」です。
アドレナリンはストレスホルモンとしても知られている物質で、文字通りストレスを感じたときに出てきます。
人類が今のように繁栄する前、私たちが最も大きなストレスを感じていたのは、やはり大型肉食動物との遭遇でした。
命の危機、という最大のストレスに対して、アドレナリンを分泌することで、いつでもすぐに逃げられるように脈を速くし、血糖値を上げてすばやく「逃避行動」に移れるようにしていた、というわけです。
今でも、ストレスを感じると心臓がドキドキすることがあるでしょう。
これは、体がストレスに反応して、いつでも逃げられる準備をしている、ということなのです。
このオレキシンとアドレナリンという2つの物質は、体に負荷やストレスをかけ、外敵の襲来/睡眠不足という一時的な危機をどうにか乗り越えるためには必須です。
これらの物質のおかげで私たちは、睡眠不足のときほど、「頭が冴えるような感覚」を得られるわけですが、その代わりに「脈」を増やし、そして「寿命」を減らしています。
これらの物質が出ることによる「冴えるような感覚」は、覚醒剤などの効果と似ていて、命を削る反応といっても過言ではないでしょう。
十分に寝るようになれば、オレキシンやアドレナリンの分泌もおさまり、脈拍も下がって、食欲も正常に戻っていくのです。
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