2020年3月6日に公開され、大きな反響を呼んでいる映画『Fukushima 50』。作業員たちと極限状態に置かれた伊崎役には、どんな思いで臨まれたのでしょうか。主演の佐藤浩市さんにお話を伺いました。
「未来への選択をするためにも 多くの方に見ていただきたい映画です」
─実際の事故を描いた作品です。
佐藤 とにかく事実をきっちり伝えようと。偏りのある描き方にならないよう気を付けました。
─現場の様子がリアルでした。
佐藤 実際に現場にいた方々と同じ気持ちになるなんて到底できませんが、物語の時系列に沿って撮影したので、日に日に皆の切迫感が増して顔つきが変わっていって。そこは計算では出せないものだったと思います。
─原作(『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』門田隆将著(KADOKAWA))は吉田所長を中心に書かれていますが、映画は佐藤さん演じる伊崎が中心ですね。
佐藤 そこは映画の作り手の思いを感じました。伊崎をはじめ、危険な現場に残って作業を続けた人たちは、地元出身の普通の人たちなんです。市井の人である伊崎は「自分にできることは、最後まで現場を離れないことだけだ」と言っている。家族や仲間を守らなければならない。その思いが、彼の中の唯一の正義だったんだと思いますね。
胸に迫る桜のシーン
─桜のシーンは、ほかの場面を全て撮り終えた2カ月後に、あの場面だけ撮影したそうですね。
佐藤 忸怩たる思いの場面ですね。故郷で家族と一緒に暮らすために、伊崎はどんな思いで発電所の仕事と向き合ってきたのか。それを思いながら、桜が「咲いた」にするか「咲いてくれた」にするか、最後まで迷いました。伊崎の思いとしては「咲いてくれた」なのですが、春の声を聞けば、当たり前のように「咲く」ものと思っていた桜が、あの時の伊崎には違って見えたと思うんです。映画の全てを語ってしまう場面なので、撮影すべきかスタッフで話し合いました。やるなら、開花を待たなければならない。「それでもやろう」ということになって、撮った場面です。
─吉田所長との絆を感じさせる場面でもあります。
佐藤 僕ら二人が顔を合わせる場面は少ないですが、そこは敢えて、その方が二人の場面が見てくださる方に強く響くのではないかと。(渡辺)謙さんは謙さんでやってくれると信頼していましたし、おこがましいですが、彼もそう思ってくれていたと思います。
若い頃なら、やらなかった作品
─映画の中でも、撮影現場でも全体を引っ張っていく立場におられます。お若い頃と比べて、何か思うところはありますか?
佐藤 若い頃なら、今回のような作品はやらなかったかもしれないなと思うんです。もっと断定的に是非を描くべきなのではないかという気持ちが働いて。でも、60も間近になったいまだから、断定するより、見てくださる方に投げかける方が意義があるように思えたのかなと。この映画を見て、当時のことを思い出して気分が悪くなる方もいると思うんです。それぐらい痛みの伴う描き方をしていますから。でも、事故を風化させないためには、そういう表現をする必要があったんですよね。
─映画で「俺たちは何か間違ったことをしたんだろうか」というせりふが語られます。
佐藤 伊崎たちの側からすれば、原発ができたことで、出稼ぎに出ずに地元で働けて、家族と暮らせたわけですよね。けれど、ずっと安全だと信じてきたことが、安全ではなかった。その怖さですね。果たして、自分たちは何か間違ったことをしたのだろうか、と。未来への選択をするためにも、ぜひご覧いただきたいと思います。
撮影/中村嘉昭(LiNQ)