高齢者へのイメージや独居が発見を遅らせる
最近の高齢者は、昔と違って栄養状態が良くなっています。しかも、若い頃からのライフスタイルも、日本が豊かな国と言われるようになってからの世代ですから、いまの80歳の人は、昔の80歳の人より、心身ともに明らかに若いのです。それでも、そのくらいの年齢でヨボヨボと弱ってくると、やはり「80歳だから」と片付けられがちです。
例えば、それまで元気だった80歳の女性が、 ヨボヨボしてきてしわが目立つようになり、化粧にもおしゃれにも興味を示さなくなります。すると周囲は、「80歳だから仕方ないね」とか、「これが"80歳の壁"というものか」(このネーミングには私にも責任があるが)と、納得する人が多いかもしれません。こういったケースの場合、実は、うつ病を発症していることが結構多いものなのにです。
このように、世間の高齢者へのイメージ、つまり、古いイメージのままであることが、うつ病の発見を遅らせることもあります。さらに、一人暮らしの人が多いことも、うつ病の発見を遅らせることになります。現在、高齢者世帯の約半数が独居で、その数は約670万人と推計されています。その約5%がうつ病だとすると、それだけでもかなりの数のうつ病患者が見過ごされている可能性があることになります。
一人で暮らしていると、表情が暗くなったり、着替えをしなくなったり、食欲が落ちたりしても、それらに気付いてくれる人がいません。久しぶりに訪ねてきた親族が、変わり果てた姿に驚いて医者に連れて行ったり、最悪の場合、自殺してからうつ病だったことに気付かれるという例も少なくないのです。
孤独死というのは、多くの場合、これまで元気だった独居の高齢者が心筋梗塞などで急死するケースが多く、世間が考えるほど悲惨なものではありません。むしろ、ピンピンコロリに近いことが多いものです。しかし、独居の高齢者がうつ病で苦しんだあげく、最後は自殺で亡くなるというのは、もっとも悲惨な孤独死と言えるかもしれません。
いずれにせよ、このような形で見過ごされているうつ病が、とても多いのは確かです。前述のように、高齢者の約5%がうつ病だとすれば、200万人近くの高齢者がうつ病を患っているわけですが、おそらくその1割も、医者にかかっていないのが事実なのです。
知っていることを"思い出せない"は正常
もう一つ、高齢者のうつ病が見落とされやすい原因として考えられるのは、認知症と間違えられやすいことです。
高齢者のうつ病で比較的目立つ症状に、「記憶障害」や「物忘れ」があります。高齢で物忘れがあると、すぐに認知症と決めつけられてしまう傾向がありますが、これは一般の人だけでなく、医者にもそういう人がいることは確かです。
記憶障害や物忘れには、二つの目立つパターンがあります。一つ目は、「想起障害」といって、例えば道で会った知り合いの名前が出てこないとか、テレビに出てくる人の名前が出てこないというように、一度覚えたはずのものの出力ができない状態です。言おうとしていたことが出てこなくて、「あれ」とか「それ」で代用してしまうのも、この想起障害に当たります。こういった症状が起こると、物忘れが始まったと焦る人が多いのですが、これは認知症の物忘れとはタイプの違うものです。
一般的に想起障害というのは、書き込まれた記憶に対する上書き情報が多いから起こるとされています。また、人間の脳は、普段出力していないことは、なかなか出てこないという特性もあります。ホテルマンなどがお客さんの名前を何度も口に出すのは、それによって出力をしやすくしているという事情もあるのです。想起障害のもう一つの特色は、きちんと脳に書き込まれていることなので、その名前を聞くと「ああ、そうだった」と思い出せることです。ですから、会った人の名前が出てこなくても「山田だよ」と言われると、「そう、そう、山田さん」という風になるわけです。
例えば、何十年かぶりに長崎へ旅行したとします。昔入ったちゃんぽん屋さんの前を通ると、まだ営業していました。そうすると、「あ、この店、まだ潰れていないんだ」と、思い出すことがあります。これは、脳にちゃんぽん屋さんの画像が書き込まれていたから、見覚えがあったわけです。それまではまったく思い出したことがなくても、それは普通のことでしょう。このように、脳には書き込まれているけれど、出力できないというのは、認知症による記憶障害とは違うものです。
【記憶障害は2パターン】
一度覚えたはずのものの出力ができない「想起障害」は、心配ない物忘れ。一方、新しく体験したことを覚えていられない「記銘力障害」は、うつ病や認知症の可能性があります。