「あるものでいいよ」と言う母に、食べ物は自動的に出てこないという現実を教える/うちの親にかぎって!

こんにちは。松風きのこです。母の認知症に気づいてから3年も経過してからようやく、病院に連れて行くという名目で、実家の福岡から東京に呼び寄せるところまでこぎつけました。しかしひとりでは徒歩2分のコンビニにも行けない、一緒に出かけたスーパーでも迷子になってしまう。認知症とはいえ母娘2人の生活を楽しくしようと張り切っていたのに、まさかここまでつきっきりでいなければならないなんて、予想していなかったのです。

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2人でできる食事を楽しみにしていたのに、ほとんど食べない母。結局ひとり暮らしと同じように。

母がひとりで出かけられないのはまあ仕方がない。一緒に出かければいいのだから。でももうひとつ困った問題がありました。それは食事。
私はひとり暮らしが長く、なんでも"おひとりさま"に慣れてはいるけど、食事の時間が母と2人になることを楽しみにしていました。母はもともと食が細く、実家でも食べないとは聞いていましたが、それはきっと父がいつもガミガミ怒っているせいだろう。女同士で気楽にのんびり過ごせば、ストレスも減って食欲も出るのではないか。なんなら認知症だって軽くなるかもしれない、なーんて期待している部分もありました。私なら母が寝てばかりいても、ダラダラしていても怒ったりしないし(だって私もそうだから!笑)。

そこで母が喜びそうなものをあれこれ作ってみたのですが、母はほとんど食べてくれないのです。

一緒にスーパーに連れて行き「今日は何が食べたい?」と母の希望するものを作っても、夕食の時間になると「いまお腹がすいてない」といって寝ている。これではなんだかひとりの時と変わらない...。実家で父がぼやいていたのはこれだったのかと実感しました。
いつも通りひとりで食べて、起こしても「お腹が痛い」。病院に行く?と聞くと「寝ていれば治る」というので、もう食べないだろうと片付けてしまった日のこと。夜中に突然「お腹が空いた」と起き出してきたのです。

何もなかったのでコンビニに買いに行こうとすると「そこまでせんでも、あるものでいいよ。煮付けとか煮っ転がしとか」なんて簡単そうに言うのです。この場合の煮付けとは魚の煮付け。煮っ転がしとは福岡でいうがめ煮...つまり筑前煮。そんな手間のかかるものを突然ご所望されましてもぉ~...すぐに出てくる家なんて、そうそうあるものでしょうか!?

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うちのは魔法の冷蔵庫じゃないの!魚の煮付けや煮物は簡単に出てくるものではないことを教える24時。

用意していても食べなかったり、突然高度な要求をしたり、予想のできない母の食欲。そんなことが頻繁にあるので「お母さん。うちのは魔法の冷蔵庫じゃないの。自動的に"あるもの"なんてないのよ。食べたいと思うものは材料から買ってきて作るか、あらかじめ買っておくの。あとは自分で動いてお店に食べに行くかよ」と当たり前のことを言うと、「もう家に帰りたい」と泣き出してしまいました。泣きたいのはこっちですよ。というか、いつも今すぐに食べられるものを常備して、ワガママな母の要求にも応えている父はすごい。もしや父が魔法使いなんだろうか...と改めて感服しました(なのに認知症を認めなかったのはなぜ...という疑問は残りますが)。

 

夜中の屋台もファミレスも、母にとっては大冒険。散歩と外食でどうにか食べさせることに成功!

しかしここは東京。都会の良いところは、どんな時間でもお店に行けば食べたいものはだいたいそろうこと。それで外に食べに行こうというと「こんな夜中に出かけたくない」とグズっていましたが、散歩といって連れだし、ラーメンの屋台に行ってみました。母にとっては夜中の散歩も屋台も初めての大冒険だったようで「こんなん生まれて初めて食べたわ!」と、とても喜んでくれました。

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そう、母は外食をほとんどしたことがなかったのです(実家では車生活だし、父は夕食時に必ず晩酌をするので)。それからはほぼ毎日、夕方から散歩に連れ出し、お腹が空いたころに外食することにしました。エスニック、イタリアン、焼肉、天ぷら、とんかつ...母は食べたことのない、または滅多に食べないメニューに大喜びで、食欲も増し、ちゃんと一人前を平らげるようになっていきました。実家では魚や野菜料理がほとんどだったけれど、意外に洋食や肉、揚げ物が好きなことも分かりました。

エンゲル係数はうなぎ上り(涙&笑)ですが、それで元気になってくれるなら、と母を飽きさせないよういろんなお店に連れて行きました。
でも毎日毎日は続けられません。そう、私もそろそろ仕事をしなきゃ...。ほとんど家でできるフリーライターとはいえ、打ち合わせや取材で出かけなきゃならない時もあるんです。留守の間の食事、どうしよう...

 

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「うちの親にかぎって!」他の記事はこちら。

イラスト/にのみやなつこ

 

 

松風きのこ(まつかぜ・きのこ)さん

大学進学で上京し、広告制作会社でコピーライターを経験したのち、広告、雑誌を中心としたフリーライターに。父(82歳)母(81歳)は福岡在住。5年前、父が頸椎の手術をしたのを機に、それまで年に1週間程度だった帰省を3~4ヵ月間に増やし、さらに母が認知症と分かったため、東京と福岡を往復しながら遠隔介護中。母が認知症だとは気づかずに過ごした数年の間に、周囲がみんな逆効果の対応ばかりしていたことに思い当たり、この体験記を書くことに。

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