こんにちは。松風きのこです。旅行先の行動で、母の認知症に気づいてから3年もの月日が経過...。父や周囲の反対を乗り越え、ようやく実家の福岡から東京に呼び寄せて、病院に連れて行ける段取りまでこぎつけました。しかしその直前に熱中症で入院し、さらに認知症が進行してしまった母。東京での母娘2人の生活の大変さは、私の想像をはるかに超えたものでした。
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まだまだ手のかかる娘を演じて(?)、やる気を出してもらう作戦!
正直に告白すると、じつは私、母の世話どころか自分の世話もままならないダメ人間。いわゆる「片付けられない女」なのです。対して母は片付け魔。子供の頃からいつも怒られ、見るに見かねて勝手にどんどん片付けられてしまっていました。
今では母の身の回りも、父が先回りしてやってしまうので母の出番がなくなっていたけれど、私の家の惨状を見たら昔を思い出して片付けてくれるんじゃないか?
私も妹も大学進学と同時に家を出てしまったので、世話を焼く相手がいなくて張り合いがなくなったけれど、まだまだ私が手のかかる娘だとわかったら、シャッキリしてくれるんじゃないか? そんな淡い期待も抱いて、あえて片付けないまま迎えたのです。ショック療法というやつです!(すごい言い訳...)
私の家について開口一番「相変わらず盛大に散らかっとおね~。いっちょん成長しとらんやん」と、ケラケラ笑う母。
「そうやろ?今だに片付けは苦手なんよ。お母さんおる間に片付けてよ」と甘えると、「これはどうにかしてやらんといかんね。さては片付けさせるために呼んだんやね」と、ちょっとうれしそうでした。いいぞいいぞ、その調子!
・・・しかし結果を先にいうと、3ヶ月に及んだ滞在期間中に片付けてくれることは全くなく、母がつまずくと危ないという弊害が生じたので、結局自分で片付けました。チェッ!
さらに問題は、それ以前のところにありました。
ひとりでは一歩も外に出られない。トイレに行っている数分の間にも迷子に。
まずは外出。田舎ではどこへ行くにも父が車で連れて行っていたけれど、東京ではそんなわけにはいきません。むしろ普段全く体を動かさない母を、否が応でも歩かせるいい機会。何度か練習すれば、せめて駅くらいは自力で行けるようになると思っていました。
家から駅までは1本道だし、バス停だって近い。電車に乗りさえすれば、妹の家にも乗り換えなしで1本だし、そのうち慣れれば駅までの送迎で行けるかもと目論んでいました。でも乗り方はおろか、そもそも駅名やバス停名も覚えてくれません。時々「お母さん、うちの最寄り駅はどこ?」とクイズを出しても「うーん...」と長時間考えたまま黙り込んでしまう...。後で分かったことですが、なかなか答えられないのも、間違えたら恥ずかしいというプライドがあったのですよね...。駅名を紙に書いておいても、その紙の存在自体を忘れてしまうので、ひとりで乗り物に乗せることは早々に諦めました。
でも徒歩なら、多少の外出はできるだろうと思っていました。商店街では母よりもずっと高齢で足腰の不自由そうな方でも、手押し車などで買い物に出かけている姿を見かけます。そんな光景を見れば、"自分はまだまだ自力で動ける"と励むきっかけになってくれるのではないかと。
これまでも私のマンションには来たことがあるし、徒歩圏内での買い物くらいはできるだろう、最悪でも徒歩2分のコンビニくらいは行けるだろうと思っていました。でも私の考えが甘かった。
なにしろそんなに広くないスーパーの中でさえ、「ちょっとトイレに行くから」とベンチで数分待たせている間に、勝手にカートを押して会計し、外に出て迷子になってしまったのです。30分ほどかけずり回って探し、真夏の屋外で重たい荷物を持って立っている母を見つけたときは、また熱中症にでもなったらと、こちらが泣きそうでした。せめて涼しい店内で待っていてくれたらいいのに...(そもそも店内にいたら見つけられるけど)。母は気を利かせたつもりだったようなのですが、私がトイレに行っていたことも、「ここで待ってて」と言ったことも忘れているのです。母のトイレに付き添うのは旅先で学んだけど、もう私が行く時も連れて行かなきゃダメだ。
でもまだこの時は、いつもガミガミ怒っている父と離れ、女同士で気楽にのんびり生活すれば、ちょっとは症状も軽くなるんじゃないか...と母との生活を楽しみにしていたのです。
次回に続く。
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イラスト/にのみやなつこ