こんにちは。松風きのこです。認知症を認めたがらない母本人と家族を3年越しで丸め込み、東京の病院に連れて行くために実家の福岡から呼び寄せました。しかしひとりでは徒歩2分のコンビニにも行けず、スーパーの中でも迷子になるので目が離せない状態に。さらに食事も気まぐれで、決まった時間に食べてくれず夜中に突然お腹が空いたと言ったり。そのうち私もつきっきりではいられない、仕事で外出しなければならない時がきました。食事の用意はしてあったのですが...
前の記事「「あるものでいいよ」と言う母に、食べ物は自動的に出てこないという現実を教える/うちの親にかぎって!」はこちら。
あらゆるスイッチに使い方を書いて家中貼り紙だらけ。
留守番の準備は万全にしたつもりだったのに...
母がなかなか食事を食べてくれない件については、外食に連れ出すことで少し解決できました。ほとんど寝ていて体も動かさなかったのを、食事のために外に連れ出すことで、少しは運動になってお腹も空くようになったようだし、今までほとんど外食をしたことがなかった母は、目新しいメニューにいちいち喜んでくれるのもうれしかった。
しかし毎日それはできません。フリーライターの私は、ふだんは自宅で書き物をしているとはいえ、打ち合わせや取材などでどうしても出かけなければならない日があります。
できるだけ早く帰るつもりだけど、食欲が予測できない母のこと、もし私が帰る前にお腹が空いたら...と、すぐに食べられるように買い置きをして冷蔵庫に入れておきました。
もちろん書き置きをして、家中のスイッチにもすでに使い方のシールを貼ってあります。なにしろ家に着いた日にもトイレの流し方さえ分からずオロオロしていた(ボタン式で実家より簡単なはずなのですが、使ったことのないものは全て分からない)ので、照明やテレビ、エアコンのリモコンはもちろん、ガスや電子レンジの使い方も練習しておきました。
これで万全!と思って出かけたのですが...。数時間後、父から私の携帯に電話が。
「おい、どこにおるんか!お母さんが、帰りたいちゅうて泣きよるぞ」
すぐに食べられるものを見えるところにセッティング。
料理を温めるのがこんなに困難なこととは。
母はかんたん携帯を持っていたので、私に電話する方法も練習して、できるようになったはずだったのですが、焦ってしまうと結局かけられず、一番上のボタン(父)にかけてしまったのです。慌てて折り返しかけ、母の様子をうかがうと、どうやらテレビが点けられなかっただけなのですが、でもそんな理由は恥ずかしくて言えず、心細くなって父に電話したようなのです。電話でリモコン操作を説明したけれど、どうやらボタンを押してすぐに点かなかったため、やみくもに本体の元スイッチを切ってしまったようでした。
急いで家に帰ってみると、「お疲れ様。お仕事うまくできた?」と、気持ちだけは私の世話を焼きたいようで、平静を装う母。でも家の中はリモコンで苦戦した様子と、案の定、お腹も空いたようで、外に置いてあった食パンをそのままかじった(1枚食べきれずに残していた)形跡がありました。
チンするだけだから簡単と思っていたものも、母にとってはハードルが高かった。最近の電子レンジって、フラットなデザインでドアを開けるとようやくデジタル数字が出て、それもとっとと操作しないと表示が消えてしまったりしますよね。私にとってはシンプルで機能的で、不便だと思ったことは一度も無かったけど、昔ながらの大きいボタンとダイヤル式のものしか使ったことのない母には、未知との遭遇だったのです。
料理を温めるということが、こんなに難しい問題だったとは!なんだか縄文時代のよう...。これではひとりで留守番させるのも一大事。
母を置いて出かけるときは、テレビとエアコンは点けっぱなし。お腹が空いたときのために、温めなくても食べられるおいなりさんや巻き寿司、サンドイッチ、お茶(常温)をテーブルにセッティングしてから行くようになりました。夏場だったので生ものはダメ。冷蔵庫に入れるともう分からなくなってしまうので...。
電気ポットは実家と同じしくみでデザインが違うだけだったので、1ヶ月ほどしてお湯が沸かせるようになったときは「これで温かいお茶も味噌汁も飲める!」とレパートリーが増えたことに、ふたりで小躍りしたものです。
さて、うちに来てから1週間。いよいよ東京に連れてきた本来の目的、テレビで観た「名医」に母を診てもらう日が近づいてきました。けれど病院に行く前日、さらに母の"異変"に気づいたのです。
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イラスト/にのみやなつこ