なければないなりに楽観的に暮らそう
今から4年ほど前のこと。「老後の資金が2000万円不足する問題」が世の中を騒がせました。金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループが作成したレポートに「年金だけでは毎月5万円ほど生活費が不足する。65歳で年金をもらい始めた人がその後30年生きるとしたら、不足する生活費の合計は2000万円近くになるため、あらかじめこの額の貯蓄をしておく必要がある」と記されていて、大きな問題になったのです。
金融庁や政治家が繰り返し謝罪をして、この問題はなんとか沈静化しましたが、それでも「あれ以来、年金だけでは暮らせない」という恐怖に似た危機感が頭から離れないという人は少なくないでしょう。それも当然で、60代の貯蓄の中央値は650万円ほどだからです。
ちなみに中央値というのは、データを小さい順に並べたときに中央に位置する値のことで、平均値よりも実情を反映しているとされています。
このように、ごく普通の60代が老後をすごそうとしても、1400万円も貯蓄が足りないわけで、これでは「これから」に恐怖を感じるのは当然です。
しかし、悲観的な考えに陥るのは「百害あって一利なし」です。
アメリカ・ケンタッキー大学のデボラ・ダナー博士が興味深い調査結果を発表しています。ダナー博士が、ある修道院に在籍していた180人の修道女たちの日記を分析したところ、悲観的だった人は、楽観的な人よりも10年も寿命が短いとわかったそうです。
これに似たことは、医学の世界でもよく見られます。
「再発したらどうしよう」「どうせ治らない」というように悲観的な人は、「もう大丈夫」退院したら何をしようか」などと考える楽観的な人よりも、術後の経過が明らかに悪いのです。
生活にはお金がかかるとはいえ、本心で「できるだけ早く死にたい」とまで思う人はいないでしょう。だとするなら、悲観的に考えず、楽観的に考えたほうがいいと思います。
「楽天的」ではなく「楽観的」に
話を生活費に戻すと、そもそもどんなに悲観しても「ない袖は振れない」のですから、しかたないではありませんか。しかたないなら、楽観したほうがいいのです。こう話すと、「楽観的になれなんて、無責任すぎる」とお叱りを受けることもあります。しかし、そうした人は、「楽観的」と「楽天的」を混同しているのではないでしょうか。
この2つは明らかに違います。
楽観的とは「未来の出来事は必ず解決できると信じて行動すること」で、楽天的とは「根拠なく、なんとかなるだろうと考えること」を意味しています。
老後の生活でいうなら、心配したり不安がったりしているだけでは何も解決しません。そこで対策を考えるのが「楽観的」です。
政府は定年延長などで70歳までの就業確保を企業の努力義務としました。高齢になってからの就職先は以前に比べると探しやすくなったでしょうから、老後資金も少しずつ増やせるかもしれません。
それに加え、年齢とともに削ることができる生活費もあります。
たとえば、子供が独立すれば、広い家に住む必要がなくなりますから、狭い家に引っ越して光熱費を節約することもできるでしょう。また、体の基礎代謝も減るので、健康のためにも食費は減らしてもいいでしょう。
今の収入や貯蓄に見合うような聡明な暮らし(生活のダウンサイジング)を考えるだけでも、悲観から逃れられるのではないかと思います。