身体の中の大掃除か...。「プチ・断食」による新鮮な経験/続・僕は、死なない。(28)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

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プチ断食リトリート

10月初旬、6月末に書き上げた原稿の修正が終わった、と出版社から連絡が入った。

著者である僕に全体を通して読み直し、確認してもらいたいとのことだった。

僕はさっそく出版社に出かけた。

原稿に目を通すと、僕が書いたところと、後から編集者が筆を入れて修正したところが分かった。

僕が書いた原文から、そこそこの分量が修正されていた。

僕も頑張ったけれど、出版社や編集の人も相当に力を入れていることが感じられる力作になっていた。

ま、いいか。

全体的におかしくもなかったし。

僕は原稿にオッケーを出すと、出版社の人と話をした。

そこでちょっとした方針の違いが明らかになった。

それに対して僕は自分の意見を伝え、出版社を後にした。

やっと出来あがったな...

出版は2月くらいって言ってたっけ...。

それから数日後、僕は長野県は菅平高原にある『時空の杜』という場所にいた。

僕がお世話になったビーイング・タッチの河野さんが3日間の日程で「プチ断食リトリート」を行うことになり、そのリトリートのゲスト講師として僕を呼んでくれたのだった。

僕の「がんからの生還体験」を話してほしいとのことだった。

僕は尊敬している河野さんと一緒にリトリートが出来る嬉しさもあり、即答で行くことを決めていた。

10月になると少し肌寒い菅平高原リゾートの中、さらに最も高い場所である標高1500メートルの場所に「時空の杜」は"凜"と建っていた。

ほどよく手入れされ、白樺が群生する森林の中に、静かに、しかし地に足をつけてしっかりと建っている建物、そんなふうに、僕は感じた。

「こんにちは、よくいらっしゃいました」

『時空の杜』のオーナー中澤さんと奥様の恵子さんが気持ちよく出迎えてくれた。

中澤さんはここのオーナーであるとともに、"建築家"という顔と仕事も持っている多才な人だった。

「今回のプチ・断食リトリートの先生をしていただける、岡部先生です」

「こんにちは、岡部です」

そこにはもう一人の講師、マクロビオテックの岡部賢一先生がいた。

岡部先生は低くつやのある声と、子供のようにキラキラと輝く目を持った不思議な人たっだ。

「今回は河野さんと、岡部さん、そして刀根さんの三人の講師の先生で行こうと思っています」

中澤さんが言った。

「はい、こちらこそ、ありがとうございます。僕でお役に立つのであれば、嬉しい限りです。よろしくお願い致します」

このリトリートは「プチ・断食」と名前がついているように、土曜日の午後から月曜日の午後まで、約2日半ほどの断食を行う。

「断食、したことがありますか?」

久々に会った河野さんが僕に聞いた。

「いえ、初めてです」

河野さんはニコッと笑うと、「気持ちいいですよ。身体が清浄になるのが分かります。体調も良くなりますよ」と言った。

「そうなんですか?お腹すかないですかね?」

「それがね、全然大丈夫なんですよ」

河野さんはいたずらっぽく笑った。

二日半もなにも食べずにいて、お腹が減らないわけがない、と僕は思った。

ボクサーたちの減量だって、絶食するのは厳禁になっている。

「あしたのジョー」の時代じゃないんだから。

荷物を置いて、さっそく岡部先生の講義からリトリートが始まった。

このプチ断食では、全くの絶食ということはしない。

岡部先生が特製のドリンクを調合して作ってくれて、それを飲んだり、お茶を飲みながら3日間過ごす。

岡部先生は言った。

「身体の調子が悪かったり、病気のとき、食べるのは人間だけなんです。動物は食べません。なぜなら、そのほうが身体にとっていいからなんです」

そういえば、そうだな。

僕はうなずいた。

「病気だから、食べろ、食べろ、と言って病人に無理矢理食べさせると、本来は身体を修復したり回復したり、細菌をやっつけたりするときに使うエネルギーが、消化のほうに回ってしまって、逆に良くないんですよ」

なるほど、そうか...。

そういえば、がんの治療でも『断食』を推奨している医師やクリニックがあった。

僕も興味があって調べたことがある。

実行はしなかったけれど。

「身体の外から得る栄養分が枯渇すると、身体自体が食べ物ではなくて、自分の身体の材料を使って再生を始めます。自分の身体の中の材料を使って、自分でタンパク質を作り出すんです。これをオートファジー、自食細胞と言いまして、細胞内の浄化とリサイクルの働きのことです。これで東工大の大隅先生がノーベル賞をとりました」

おお、そうなのか。

「その再生に使われる材料は、細胞内にたまった不要なタンパク質などの不要物質、つまり、ゴミですね。そして有用なところは細胞質に戻して再利用に使われるわけです。つまり、身体の中の大掃除が始まるわけですね」

「オートファジーは細胞質内に侵入したウイルスや細菌を取り除く防衛機能の働きも持っていて、細胞内のミトコンドリアに損傷が見つかると、それを壊す機能もあります。ミトコンドリアが傷つくと、通常の10倍以上の活性酸素が体内に放出されますので、腎臓や肝臓といった既存の解毒システムでは対応できなくなるのです。こうした致命的な欠陥を防ぐための安全装置がオートファジーとも言えます」

「マウスの実験では、えさを与えるのを止めてから6時間で肝細胞のオートファジーが働きだし、24時間もすれば全身の細胞でオートファジーが活性化することが確認されています」

「人間の場合、24時間の断食で肝臓のオートファジーが活発化し、3日間の断食で全身のオートファジーが活性化されるといってもいいでしょう」

「オートファジー機能を活性化できれば、アルツハイマーやパーキンソン病と言った神経細胞のダメージによる疾患の改善につながるだけでなく、がん細胞による遺伝子の傷を修復したり、腫瘍の発生を抑えたり、細胞を常に新鮮な状態に保てるので、老化も防ぐことが出来ます」

岡部先生の話は目からうろこが落ちるように、新鮮で斬新だった。

※もちろん、これは僕が聞いた講義の内容なので、読者の皆さんで興味がある人は、きちんと調べてみてくださいね

僕はがんが身体中にあったとき、食事のことは妻に任せっきりにしていたので、こういったことは何も知らなかった。

妻ならある程度知っていただろう。

僕はこういうことに興味のある妻にも聞いてほしいな、と思った。

岡部先生の講義が終わると、次は河野さんのワークだった。

河野さんは僕も南伊勢で教えてもらった「ビーイング・タッチ」の初めの部分、「自分のエネルギーを感じながら動いてみる」をみんなに教えてくれた。

目をつぶって自分の中に流れているエネルギーに意識を向けてみる。

すると不思議、確かにそれは流れている。

その流れが右に流れていれば、身体ごと右に動いてみる。

上に動いていれば、少し反り返る。

そうやって身体の流を感じながら、その流れに逆らわずに一緒に流れていく。

「"快"方向を感じてください」

気持ちがいい、という方向へ抵抗なく流されていく。

それはとっても気持ちが良かった。

みんなで気持ちよくフラフラと漂っていると、あっという間に時間が経っていた。

そして夜になった。

『時空の杜』の食堂兼ワークルームに、見慣れない石やガラスで出来た様々な大きさの器がたくさん並んでいた。

「これは、何ですか」

中澤さんに聞いてみた。

「これはね、クリスタルボウルですよ」

「クリスタルボウル?えっと、楽器ですよね」

「そう、僕、演奏できるんですよ」

中澤さんはいたずらっぽく目を輝かせた。

「叩くんですか?」

「叩きもしますが、こうするんです」

中澤さんは皮が巻いてある木の棒を手に取ると、器の縁をゆっくりとなぞりはじめた。

すると...。

コ~ンという澄んだ音が響き始めた。

「おお、すごいですね」

「大きさによって音が違うんです。周波数が変わるんですね」

中澤さんはさっきよりも小さなクリスタルボウルを、ゆっくりとなぞりはじめた。

キ~ン

確かにさっきよりも高い音だった。

「おおお、面白いですね。僕もやっていいですか?」

「もちろんです、お好きなものでやってください」

僕は棒を受け取ると器の縁をなぞってみた。

中澤さんみたいに澄んだ音は出なかったけれど、それは面白い体験だった。

「明日の午前中、刀根さんのお話の時間ですからよろしくお願いしますね。それじゃ、おやすみなさい」

中澤さんはにこやかに事務所に帰っていった。

そうか、明日は僕が話す番なんだな。

僕は仕事で人前で話すことは慣れていたけれど、がんの話をするのは初めてだった。

何を話すのかは全く考えていなかった。

こういうときは、考えたり準備をしないほうがいい。

そのとき、その場で感じ、浮かんできたものを正直に話すほうが、よりいいものになるだろう。

【次回のエピソード】涙を流して聞いてくれる人がいる...。講師として語った「がんと向き合った1年」

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

【まとめ読み】『僕は、死なない。』記事リスト
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50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

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