「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。
「抱え込まない」ということ
昨年10月に後楽園ホールで、僕は総合格闘技のプロ選手、征矢貴(そや・たかき)選手に会った。
そのとき、僕は彼から彼の奥さんが白血病であることを聞いた。
その数日後の10月下旬に、僕は白血病の新聞記事を見つけたので、コメントとともに彼に写メを送った。
「こんにちは。新聞記事を見つけたよ。参考までに読んでみてね。今度ご飯でも食べに行こう」
彼からすぐに返信があった。
「こんにちは。実は先週月曜日に嫁が息を引き取りました。今は色々バタバタしているので、落ち着いたらご飯行きましょう。医学がもっと進歩して、ひとりでも多くの人に元気になって欲しいものですね」
僕は言葉を失った。
この短い文章の中に、どれだけの苦しみと悲しみが込められているのか...。
僕も半年前まではその当事者だっただけに、彼の苦しみと悲しみは察して余りあるものだった。
しばらく考えた後、僕はメールを返した。
「そっか...。それは大変だったね。当事者じゃないと分からないことが、たくさんあるからね」
すぐに返事が返ってきた。
「彼女は1年以上辛い治療を頑張ったので、今は褒めてあげたいです。落ち着いたらまた連絡させてもらいます」
そして年が明け、僕は征矢選手と会った。
久々に会った彼は、顔色が悪く、身体が一回り小さくなってしまったように感じた。
喫茶店に入ってから、僕は聞いてみた。
「大変だったね」
「ええ、まあ」
征矢選手はあまり表情を変えずに言った。
彼はやっぱり戦士だった。
ボクサーもそうだが、戦士という人種の人たちは感情をあまりあらわにしない。
特にネガティブなものについて。
そういえば、僕もがんのときはネガティブを一切口にしなかった。
僕は言った。
「ちゃんと泣いた?」
「はい、泣きました。この前までずっと引きこもってましたし」
「そうなんだ。悲しいときは、ちゃんと悲しむってことが大事だからね」
「そうですね」
僕は小さくなった征矢選手に聞いた。
「体重減った?」
「はい、実は俺、クローン病になってしまったんです」
「クローン病?」
「はい、自己免疫疾患の病気なんです。俺の場合は、自分の免疫が腸の内部を攻撃して炎症が起こるので、ご飯が食べられなくなってしまうんです」
「全然食べられないの?」
「ええ、調子がいいときは食べれるんですが、下痢をしたり腹痛になってしまうことが多いんです。水を飲んでも、下痢するときがあります」
「そうなんだ。それは辛いね」
「ええ、まあ」
「思うんだけど、征矢は今回のことで自分のことを責めてるんじゃないの?奥さんを助けられなかった自分をさ」
「...そうかもしれません」
「その感情が、自分の肉体を攻撃する自己免疫疾患になって現れたんじゃないのかな」
「...よく分かりません」
僕には、彼が身体じゅう大やけどを負っている様に見えた。
大好きな人、大切な人を救えなかった罪悪感と無力感。
大好きな人から永遠に引き離された孤独感。
大好きな人が、この世界にはもういない、という絶望的な悲しみ。
彼自身の消化しきれていない感情の炎が、ジワジワと彼自身の身体を焼いてしまっているように感じた。
「征矢がクローン病だってこと、みんな知ってるの?」
彼は総合格闘技の選手で、それなりに知名度のある選手だった。
「いえ、公表していないです」
「どうして?」
「治してから公表しようと思ってます」
「それは...」
それは、昔の僕と同じだった。
僕が肺がんステージ4を公表せず「治してから報告しよう」と思っていたのと全く同じ思考回路だった。
「...実は僕も肺がんのステージ4を宣告されたけど、すぐには公表してなかったんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、完全に治してから公表するつもりだった。なんだか公表する気になれなくてね。でも、緊急入院が決まってそんなことも言ってられなくなったんだ。あのときはもう死にそうだったからね。それで6月8日にフェイスブックで公表したんだよ」
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「ありがとう。それでね、公表して感じたんだけど、すごく楽になったんだよ。とてもすっきりした。なんだか肩の荷を下ろした感じ。身体が軽くなったんだ。公表しないっていうのはさ、ちっぽけな考えだと思うんだ」
「ちっぽけ、ですか?」
「そう、ちっぽけなエゴというか、プライド。そんなもん意味ないよ、捨てちゃいな」
「...そうですね。分かりました、公表してみます。もうこの際プライドとか関係ないですからね」
「そう、捨てることで得るものが必ずあるから。僕なんかそうだった。自分で思っている以上に、みんなが助けてくれるんだよ。一人で背負っていく必要なんてない。大変なときは、援助を受け入れる、助けてもらうことを自分に許すってことも、大事だと思うんだ」
「助けを受け入れる...ですか」
「そう、それを自分に許してあげるんだよ。僕なんかそれで展開がガラッと変わったんだから」
「はい、分かりました」
「また来月くらいに会おうよ」
「はい、会いましょう」
その日の夜、彼はさっそく言ったとおりにツイッターで病気のことを公表した。
そして、僕に連絡をくれた。
「ありがとうございます。言われたとおりに病気をツイッターで公表したら、本当に足が軽くなりました。不思議です」
「抱え込んでいたエネルギーが解放されたんだよ。良かったね。これでいい方向にいくと思うよ」
「はい、そうですね」
自分の本当の感情、本音を感じること、そしてそれがネガティブなもので、自分を苦しめてしまうようなものだった場合、それを自分の外に出してあげること。
緊急入院が決まった直後に、僕は父と話をしたことで"悲しみ"という自分の中に溜まったエネルギーを排出することが出来た。
それが病状の改善につながった。
ネガティブな感情を外に出すことで、身体の不調が改善される。
それは僕だけじゃなかった。
しかし、自分の中にある感情、しかも今まで気づかなかった感情を気づくようになるのは本当に大変だし、骨が折れる。
それはほとんど無意識のレベルにまで押し込められているから。
だからこそ、心理学という学問が大切なのだと思う。
無意識のレベルにまで押し込められた感情や思い、あるいは信念などが意識の光に照らされて外に出てきたとき、はじめてその人が本当に変わっていくことが出来るんだと思う。
【次のエピソード】いよいよ3月末には完全な無職か...。僕が囚われた「ひとりになることの不安」/続・僕は、死なない。(18)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。