こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:選挙会場に一人で行けない高齢義父。郵便で不在者投票をやってみた/山田あしゅら
病気の影響で、手足の動きは次第に悪くなり外出の頻度もだんだん減ってきていましたが
それに反して思いだけは
昔のままの義父。
しかし、家の中で過ごしていてもやることといえば寝転がってテレビをみるぐらいしかありません。
相変わらずデイサービスは頑なに拒否を続けていましたので、家族以外と会話をするのは
病院のお医者さんか訪問リハビリの療法士さんぐらい...そんな日常が続いていました。
義父に限らず、こういった高齢者は結構多いと聞きます。
ある時、家から車で10分ほどのところにある福祉センターで高齢者向けの催しが行われており、同じ趣味の人が集まって様々なサークルを立ち上げているという情報を入手しました。
そういえば義父は若いころ将棋に熱中していたと以前聞いたことがあります。
サークルの中には将棋の同好会もありました。好きなことならやる気になるかもしれません。
そこで
と、誘ってみたのです。
ところが
全く乗ってきませんでした。
義父の返事の裏には、既に出来上がっているコミュニティーへ新参者として加わることへの抵抗もあるようでした。
かつては典型的な仕事人間だった義父。
それでも仕事をリタイアする頃は有意義な老後を結構楽しみにしていたみたいです。
実際退職後の7~8年は趣味の盆栽や写真を楽しみ、時には義母と旅行に出かけたり、結構充実した日々を送っていた時期もありました。
その頃のことです。
義父はカルチャースクールで『鎌倉彫』の教室を自分で見つけ、通い始めたことがありました。(当時はまだ車の運転もできていました。)
元々手先が器用な上、凝り性な義父はすぐに作品作りに熱中し始めたのですが、ひとつふたつと作品は増えていき、いい趣味を見つけたと喜んでいたのもつかの間。
1年もしないうちに、他の生徒さんたちとソリが合わないとその教室をぷっつりやめてしまったのです。
融通が利かない義父らしいとも言えますが、それ以降、教室やサークルなど人と交わる場に自ら出ようとしなくなってしまいました。
将棋サークル参加の拒否もそんな経験を引きずってのことだったかも知れません。
もちろん、たくさんの仲間といることが好きな人もあれば、好まない人もあります。
けれど、自分の世界を広げるにはやはり人との繋がりは欠かせないのです。
現役時代は会社でそれなりの地位に着き、多くの人との関わりを持っていたであろう義父でしたが、仕事上の付き合いと、プライベートな付き合いとでは全く別物。
かえって、過去に築き上げたプライドが次の人間関係の構築に支障をきたすということはよく耳にする話です。
加えて年を取ると尚更、新しい人間関係を築くことは難しくなるようです。
人に囲まれて余生を送る高齢の方は、若いころから人の中に入っていくよう努めていた人に多いように思います。
義父の場合、病気による身体の急激な衰えなど気の毒な面もありましたが、
もう少し義父に人と歩み寄る気持ちがあったなら
もう少し違った老後が開けていたかも知れません。
先の見えない老後ではありますが、人を避けずに関わることは後々大事な財産となるものだと義父を見ていて思います。
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