こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】義父母のデイサービス利用日。忙しい朝の準備中に予期せぬハプニング!/山田あしゅら
【最初から読む】義両親の様子がおかしい...介護生活がはじまった日/山田あしゅら
様々な介護サービスは被介護者のみならず介護する家族にとっても実に大きな助けになるものです。
どんなサービスがその人、その家族に必要なのかは十人十色。
過不足のないプランを模索し、各介護事業所との橋渡しをするのが「ケアマネジャー」です。
私も義父母の介護で初めて出会った「ケアマネジャー」という職種の人。
最初はたしか義父の介護申請の時でした。
市役所の福祉課窓口で「居宅介護支援事業所一覧」を渡されて
結局どこが良いのかわからず、自宅に一番近いと思われるところに連絡したのですが...。
右も左も分からない介護初心者に「マッチした事業所」を探せってのが無理な話ですわ。
その時家に来てくれたのが
私が陰で「ハンコおじさん」と呼んでいた最初のケアマネジャーです。
「ハンコおじさん」は月1回家に来てはくれましたが、いつも玄関先で「調子はどうですか?」と一言二言聞いたあと義父の顔を見るでもなく書類にハンコだけもらって帰っていく人でした。
当時義父に下された介護度は「要介護2」。
この頃はうつ病で身動きできなかったことと介護保険が始まった当初のユルさからこんな介護度となったようですが、だんだんうつ症状が回復してくると認定が厳しくなったことも加味されて、義父は「要支援」に格下げ(?)となりました。
すると特に詳しい説明もないまま
ハンコおじさんはフイっと去って行ってしまったのです。
今ではこんなケアマネジャーもあまり見受けられないと思いますがこのハンコおじさん、今思えば随分説明不足なケアマネだったようです。
ただ、義父が利用していた介護サービスはベッドのレンタルのみ。
要支援になると同時に介護保険適用から外れるのでベッドレンタルは実費利用となります。
その頃はまだデイサービスなど全く利用する気のない義父でしたので、
ハンコおじさんがとっとと手を引いてしまったのも分からないではありません。
それに私自身もケアマネジャーの重要性がよく分かっておらず、新しいケアマネジャー(要支援の場合、包括支援センターのケアマネジャー)を当たることすらしていなかったのです。
次にケアマネジャーと関わることになったきっかけは、義父入院中に義母のデイサービス利用を決めた時でした。
この時もどこに申し込めばよいか分からず、唯一知っているところということで義父と同じ事業所に連絡したのでありました。
ここで初めて、
ケアマネおーさんとの出会いとなったわけです。
そして、おーさんにお世話になり始めてから気が付けば6年の月日が流れていました。
ところが2014年3月の訪問日に、
一人の女性を携えてやって来ました。
こりゃまたびっくり!
おーさんによるとスキルアップを活かすため別の事業所に移られるとのこと。
それはそれでめでたいことです。
最初は義母のみの担当でしたが、すぐに「委託」の形で義父のケアマネも担って下さることになり、
その間、無理難題てんこ盛りのわが家の介護を陰で支えてくれたおーさんの存在はとても大きいものとなっていました。
おーさんと一緒に来てくれた女性は「きーさん」
4月から担当してくださるケアマネジャーさんだったのです。
いろんな人の話を聞くと、ケアマネジャーとの関わりが良好とは言えない人(家族)もままあるようです。
最初の出会いも私のように「成り行き」で決まるケースがほとんど。
そうしてみるとケアマネジャーとの出会いって「運」みたいなものだと思います。
その上、一番ポイントとなる相性は人それぞれ違いますしね。
きーさんと一緒に歩む我が家の介護は今後どう変わっていくでしょうか?
別れと出会い。
この後ちょっとドキドキの新年度となりそうです。
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