20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。
低カリウム血症で急遽入院することになったお母様。病院から連絡がないことから、快方に向かっていると思っていた中道あんさん。しかし、翌々日の早朝、慌てた様子の看護師から急変の知らせが。確執のあったお母様を見送り、中道さんが思ったこととは。
【前回】母が救急外来へ。病院へ行くと顔が腫れあがって...。そして改めて感じる介護施設の温かいケア/中道あん
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前回の記事にあったように、母は低カリウム血症とのことで急遽入院しました。
入院すればコロナの影響で面会はできません。
急いでハワイに住む、もう一人の娘である妹とスマホのビデオ通話でオンライン通話をしてもらいました。
必死に呼びかける妹に、少し「うん」と頷いた様子です。
救急担当の医師からの呼びかけに大きな声で自分の名前を答える母をみてちょっと安心しました。
診察を終えて、ストレッチャーに寝かされていた母に声をかける間もなくエレベーターで病棟に向かっていきました。
そのあと病棟の看護師さん、施設長、私とで母の情報交換をしました。
「回復したら、またお水を飲み過ぎるので、迷惑をかけるかもしれない」
「勝手にエレベーターで外来まで降りてくるかもしれない」など。
起こりそうなことがらをお伝えしていたら、施設長さんが「そうなったらすぐに退院ですよ~」とにこやかに。
私も「そうだよね~」と笑いながら会話を続けました。
最後に「担当医が決まれば病院から連絡します」というのを聞いて、これから入院生活が始まるんだと思いつつ病院をでました。
翌日、病院からは何の連絡もありません。
あの母のこと、担当してくれる医師がいないのかも...。
連絡がないということは、良くなっていっているものだと思い込んでいました。
しかし、その翌早朝のこと。
枕元のスマホが鳴りました。
「あっ、亡くなった」と直感しました。
嫌な勘ほどあたるもので、慌てた様子の看護師さんから急変の知らせでした。
急いで駆けつけましたが、会ったときには延命措置がされ、呼吸器をつけられた姿でした。
その顔はというと、なんと入院した時とは別人のように美人になっていました。
妹に連絡すると、ちょうど会社の駐車場に着いたところで、間一髪のところで間に合いました。
少し連絡が遅れていればスマホを見られるのは仕事が終わってからでした。
スマホのビデオ通話から呼吸器をつけた母の姿を見ると、人目もはばからず大泣きをする妹。
泣きながら「ほんまに悪かった」「そばにいてあげられへんでごめん」「お母ちゃんのおかげで夫とも出会えた」「育ててくれてありがとう」「生まれ変わってもお母ちゃんの子に生まれたい」「ほんまによう頑張った」「悪いのはお母ちゃんやない」と、懺悔と賞賛と感謝が入り混じっていました。
私はその様子をただただ眺めていました。
東京に住む息子もお昼休みには、「お婆ちゃんありがとう」とお礼を言えました。
妹とはスマホのビデオ通話をずっと繋いでいました。
心電図の数値が落ちると、妹が声をかける。
すると、まるで答えるかのように元に戻るという不思議なことを繰り返し、ほどなくして母は静かに亡くなりました。
私に婚期が近づくと、
「弱った時にお茶の一杯も汲んで貰えない人生は惨めや。そやからあんたは私の面倒を見て」
と母に迫られました。
その執着心は私の結婚相手に対し、将来自分の援助をしてくれる約束を取り付けて欲しいと強要するほどでした。
なのに、私はお茶どころか水一杯飲ませてあげることなく、母は天に召されました。
これはやっぱり惨めな死と言うのでしょうか。
お通夜には施設職員さん5人が来てくださり、母の亡骸を囲んで思い出話に花を咲かせてくださいました。
それでなくても忙しいのに、入所してからの6年分、施設の暮らしを撮った画像をA4サイズのラミネートに加工して分厚いアルバムを作って祭壇に備えてくださいました。
ページをめくると、私の知らないにこやかな母の姿が。
亡くなる4日前、体操の時間に嫌々ながら参加していた様子も残っていました。
もうこの頃にはかなりしんどかっただろうと思います。
最後まで普通の生活をさせてもらい、入院した翌日の夕飯にはまだなりたてであろう若い看護師さんにお味噌汁を食べさせてもらったようです。
その翌日に、多分目覚めることなく天に召されたんだと思います。
「何よりも大切にすべきは、ただ生きることではなく、よく生きることである」
私の知る限り、生きるのが辛い、死にたいと言って止まない40年間でした。
それが最後まで普段の暮らしをおこない、母なりのクオリティオブライフを全うできたと思います。
「最期にめちゃくちゃがんばったやないか! さすが、うちの婆さん」と。
最高に美人になった死に顔を見て、不思議と悲しみはおこりませんでした。
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