だんだん歩けなくなる糖尿病の母。ついには膝下から切断することに/中道あん

だんだん歩けなくなる糖尿病の母。ついには膝下から切断することに/中道あん pixta_29803814_S.jpg

母が施設に入居し、平日いないことで、私たち家族は安心して暮らせるようになりました。

ところが、いいことばかりではなかったのです。

前回のエピソード:同居を続けていたら亡くなっていたかも?母が施設に入居するまで


だんだん歩けなくなる母

楽しみを取っては可哀想と思って、週末帰宅した時には少々の買い食いも大目にみていました。家で甘く制限したのが悪かったのか、血糖値はあまり改善されず。でも、これ以上悪くならなければ良しとしていたところがありました。

最初の2、3ヶ月は、元気な様子で安心していましたが、ゆっくりとですが、足が弱ってきているようにみえました。それまで、杖をついてご近所に買い物に出かけていたのに、あまり外に出かけなくなりました。

バリアフリーの施設では、敷居をまたいだり階段の上り下りもないので足が弱ってしまったのか、太りすぎが足に影響したのか、原因はわかりません。

とりあえず対処療法として手押し車を購入して、歩きやすくしてみたのですが、家にいる時の楽しみにと10分ほどの距離にあるお店にランチに行くのも途中休まなければないほど。家では横になる事が多くなりました。

桜の季節にお花見にでかけましたが、桜並木のトンネルを50M進んだところで音を上げ、励ますように一緒に歩きましたがすぐにギブアップ。

「やっぱり変だ様子がおかしい。だんだんと弱ってきている。死期が近いのではないか」と感じたのです。お花見からしばらくして母は家の階段の上り下りが出来ないからと自宅には帰ってこなくなりました。

突然、足の指が壊疽を起こす

夏のある日、施設から電話がありました。「足の親指から血が出ている」と。普通、怪我をしていれば痛みで本人が一番初めに気付くはずです。ですが全くなんとも感じない。どこで傷がついたのかもわかりません。

典型的な合併症でした。糖尿病神経障害で感覚が鈍感に、血管障害で血流が悪くなり、小さな傷がどんどん悪化したのでしょう。職員が気づいたのは部屋にポタポタと血が落ちていたからだそうです。

すぐに病院で手当を受けて、進行しないように処置をして頂きましたが、残念ながら悪化の一途。結局、壊疽を起こしており、その個所は指だけなのに足を膝下からの切断。血管障害の可能性のある場所は壊疽を起こしやすいので残せないのです。

それでも傷が治らなければ足の付け根から切断すると。そう担当医から告げられました。

手術の日、まだ元気だった頃、ゆっくりとした足取りでしたが、「気晴らしに行ってこよう」と杖をつきつつバス停まで歩く後ろ姿が思い出され、もう二度とその姿を見る事はないと思うと何とも哀しかったです。箱に入れられた足を渡された時のそのずっしりとした重さ。その手にかかる重さが哀しみの深さを表しているようでした。

意外にも生きる意欲を見せる

足を失うということはどれほどのショックであろうか。これまで人を頼って生きてきた母。きっと現実を受け止められずに、周囲を巻き込んで悲しみをぶちまけ自暴自棄になるのではと危惧したのです。

それが意外に「こうなったのも自分のせい」「しゃーない」とあっけらかん。驚いたことに義足を付け歩行訓練をすると意欲を見せたのです。しかし、転倒の危険性から願いは叶わず、車椅子生活に。

そして、足を失って初めて、自らタバコもお酒も買い食いも全てを断つことを宣言。
両足があっても満足に歩くことができなかった母なので、きっと寝たきりになるとの周囲の予想を裏切り、車椅子を乗りこなし、片足でも自力でトイレを済ますのです。

糖尿病には、頻尿という症状があります。それは喉が乾いて水分を多くとるからかもしれません。

トイレに行くたびに職員の手を借りては迷惑になる。飲みたいお茶を我慢するのも嫌だ。オムツの中に排泄するのはもっと嫌だ。だったら自分で行く...きっとこう考えたのでしょう、

私が施設に面会に訪れると、自分のベッドの上で膝をつき一生懸命オムツとズボンを整えている母の姿を見ます。私に気づくと、途端に「ズボンをあげて」と甘えますが、大抵キチンとなっています。

今年の夏がくれば足を失って丸二年が経ちます。

血糖値は安定しており、インシュリンの単位数も減りました。あの弱々しい感じはどこかに消えて、すこぶる元気なお婆ちゃんになりました。

施設では普通食ですが、カロリーは計算されバランスの良いものを提供してくださっています。おやつも毎日小さなものを一つだけ。残念ながら、足は失いましたが、車椅子でもお出かけはできますし、たまにはご馳走を食べたりとメリハリのある生活に。

 

糖尿病の食事のコントロールを家庭で行うのは、難しいことです。本人の強い意志と家族の協力も必要で、どうしても甘くなってしまいます。我が家の場合、血糖値は施設の食事だけでコントロールされ、徐々に健康になり、生活の質が高まったと思っています。

次の記事はこちら:人生後半戦。「私らしく生きる」ための最強手段とは?

関連記事:悪化すると昏睡状態になることも。「糖尿病」/やさしい家庭の医学

◇◇◇

中道あん
「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流」主宰。Ameba公式トップブロガー。結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため、正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。
健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。

中道さんのブログ:女性の生き方ブログ 50代を丁寧に生きる、あんさん流

50life_cover-obi.jpg

『50代、もう一度「ひとり時間」』(KADOKAWA)

20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として普通に生きてきた。でも50代になると人生の転機が頼まれもしないのに訪れる。夫との別居、母の介護、女性としての身体の変化、子どもたちの成長。そこから見つけた「ひとりの楽しみ」をあますところなく伝え続ける、「あんさん」流のアラフィフライフ。50代からの人生を前向きに過ごすためのヒントが満載。

 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP