ありがとう...飲んだくれで「家族の厄介者」だった父が最期に取り戻してくれた家族の絆

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ジー君のママ
性別:女
年齢:44
プロフィール:バツイチ。子どもも独立し、現在は第二の人生を満喫中です。

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2021年4月、父が他界しました。

私は思春期の頃から父のことが大嫌いでした。

いつも酒に酔っている父が恥ずかしくて大嫌いで、母には「なんであんな人と別れないの?」と何度も聞いたことがあります。

そんな父の元から早く離れたくて、高校を卒業してすぐ18歳の時に家を出てから、実家にはめったに帰ることはありませんでした。

私が実家に帰っても、酔った父は久しぶりに帰った私に対してぐずぐずと愚痴ばかりでした。

結婚が決まり相手の両親と食事をした時も、父はいつものように酒を飲んで酔ってしまい、相手の両親にあまりにも失礼なことを言うので、私と喧嘩になりました。

最悪な両家顔合わせだったことを覚えています。

私には1つ下と4つ下の弟がいるのですが、弟たちも父に嫌悪感があり、1人は遠方へ移住し、もう1人はいったんは実家を出たものの、帰ってきてから10年以上実家で引きこもりの生活をしていました。

家族はおろか、姉弟が最後に顔を合わせたのはもう15年以上も前のことで、盆や正月にすら家族が揃うこともありません。

たまに実家に行っても母と話すくらいで、父と話さないのはもちろん、弟の顔を見ることもないようなバラバラの状態でした。

2019年6月、父は吐血して救急車で運ばれました。

食道がんでした。

最初は当然の報いだと、自分の父親なのに他人事のように考えていました。

しかし、腫瘍の大きさの割に他の臓器に転移がなく、手術ができるということで、術前に3カ月間の抗がん剤治療をして腫瘍を小さくしてから、12時間にも及ぶ大手術を受けました。

父の病気がわかってからは、免許のない母の代わりに病院への送り迎えは私が担当し、病状や治療方針の説明も母と一緒に聞きました。

父は性懲りもなくお酒は飲んではいたものの、あまり量が飲めなくなったようで、以前のような酔った姿を見ることはなくなりました。

酔っていない時の父は穏やかで、冗談も面白く、私が嫌いだった父とは全く別人でした。

術後8カ月の検診まで異常なく順調だったのですが、来月で術後1年という時に肝臓に転移が見つかってしまいました。

見つかった時には、すでに肝臓の3分の2ががんに冒されていました。

抗がん剤治療を受けたものの、父の体は見る見る衰弱していき、再発がわかってわずか半年で寝たきりの状態になってしまいました。

2年間、病院への送り迎えや付き添いをするうちに、今まででは考えられないほど、私は父と会話をするようになっていました。

歩けなくなった父を抱きかかえて車いすに乗せて、父の乗った車いすをいつも私が押したこと。

病室で「辛い」と声を振り絞って訴える父の手を握ったり、パンパンにむくんだ足をさすったり、そんなことが自然にできるほど、父のことを大事に思えるようになっていました。

死の前日は、薬で眠った父のそばで泣いていました。

県外に移住した弟が10年以上ぶりに実家に帰ってきたこと。

引きこもりの弟がひそかに在宅で稼いだお金を、生活費の足しにと母に渡すようになり、ときどき部屋から出てきて母の話し相手になってあげていること。

バラバラだった家族が、15年以上の時間を経て、家族としてまとまったのも、父のおかげだったと思います。

私たち姉弟がまだ小さい頃、父は車で色んな場所に連れて行ってくれました。

早朝のクワガタ採集、弟たちの野球の応援、遊園地や観光地、県外への家族旅行。

夏休みのラジオ体操は、必ず父に起こされていました。

思い出せば、父は本当は子煩悩だったんだと思います。

父の葬儀の際、家族だけで葬儀社に泊まったのですが、子どもの頃に行った家族旅行を思い出して、そこに父が居ない寂しさを感じていました。

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