<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ワンタック
性別:女
年齢:52
プロフィール:義両親と同居する、関東在住のフルタイムで働く普通の主婦です。
田舎に住む叔父(73歳)が2019年に亡くなりました。
そのときの様子を叔父の一人娘であるいとこから聞いて驚いた話です。
病院で亡くなった叔父を家に連れ帰り、葬儀社と準備を進めることになりました。
しかし、叔母(73歳)もいとこも叔父の死のショックと、身内の葬儀は初めてで何をどうして良いかわからず、葬儀社の話も上の空といった感じで聞いていたそうです。
そこに叔父が亡くなったことを知った、近所に住む親戚の長老たちが集まってきました。
長老たちは泣いている叔母や娘に寄り添い「身内の思う通りの葬儀にしてやってほしい」と葬儀社に深々と頭を下げていたのです。
葬儀社は「わかりました」とカレンダーを広げ、六曜(友引・仏滅)や火葬場の空き具合を確認し、お通夜と葬儀の日にちを決めていきました。
日程が決まったので和やかにお茶を飲みつつ一休みし、さてさてお通夜や葬儀に関する打合せを始めたのですがここからが大荒れでした。
「父は質素な葬儀で良いと常々言っていたので祭壇は一段で」
叔母といとこは叔父が生前話していた通りにしようと思ってそう言ったのに、長老の1人が被せ気味に反論したそうです。
「この辺では二段の祭壇さえ使わないのに一段とはなんだ! 最低三段だ!」
葬式の内容を決める間、万事がこの調子だったそうです。
「供花はこれで」と言えば「こんな小さい供花は見たことない。こんなのは供花と言わん! もっと大きいやつで!」と変更。
「香典返しはタオルで」と言えば「タオルなんていらん! 緑茶の詰め合わせに決まってるだろ!」などなど長老たちの文句と非難で収集が付きません。
長老たちが「身内の言う通りに...」と言っていた身内とは、長老を含めた親戚全員のことだったのか?
葬儀社も首をかしげつつ、祭壇、供花、供物の合計金額をはじき出しましたが、その金額は叔母たちの想像よりはるかに高い金額になったのです。
いとこも叔母も仰天し「ちょっと待った」としているうちに夜も更け、決定は明日に持ち越しとなりました。
翌朝、早朝から長老たちは叔父の家に押しかけてきて、玄関先で葬儀社を待ち構え「早く決めないとお通夜ができんぞ!」とばかりに、葬儀社と膝を突き合わせていました。
「昨夜あれから母と考えたんですが、父は質素でと言っていたので...」
そう言うと長老がまた被せ気味に反論します。
「この辺りの風習に従ったうえで、質素ということだろう。お前さんはこの辺の葬儀出たことがないからわからんのだ」
自分たちは地域の葬儀に出ていたから「きちんと相場がわかっている」と言わんばかりの態度に娘も返す言葉がありません。
「この辺りで葬儀があるとお父さんが出席してくれていたので、私はよくわからなくて」
叔母も結局投げ出してしまいました。
長老たちは大きくうなずくと葬儀社に向き直り「ではでは」といとこと叔母が確認する間もなく決め始めました。
それこそ葬儀の段取りから、お坊さんへのお布施、葬儀後の食事会、火葬場で待合時のお弁当なども含め「この辺の相場」の一声で決定していったのです。
お通夜と葬儀は、長老たちが老人会や唄の会に声をかけたようで思ったより人が集まりました。
「恥ずかしくない葬儀で良かった」
「質素な葬儀だと老人会の人は呼べなかった」
「これで香典も集まっただろう」
長老たちは「自分たちが此処までやってやった! ありがたく思え!」とばかりに威張っていました。
後に葬儀社さんがと持ってきた請求書を見た叔母といとこは、弔問客からいただいた香典では全く足りないと絶句したそうです。
この話を聞いた私は田舎の風習の恐ろしさに震え上がり、貯蓄のない私は両親には長生きしてもらわないと困ると思いました。
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