<この体験記を書いた人>
ペンネーム:しらたま
性別:女
年齢:46
プロフィール:ペットのウサギの換毛期は、アレルギー持ちの私には厳しい時期。家族も呆れるほど、掃除に熱が入る毎日です。
私は46歳、一つ年下の夫と、10代の娘との3人暮らしです。
現在、思春期真っ盛りの娘は、だんだんと扱いが難しくなってきました。
私自身は、反抗期と呼べるようなものは特段なかったと記憶しているので、親としては対応に悩むところ。
しかし娘は、小さな頃から、とにかく心根が優しい子。
誰か傷ついている人がいたら、真っ先に気づいて声をかけるのは、常に娘です。
特に思い出に残っているのは、娘の保育園時代と、私が料理に失敗して慰めてくれた時のことです。
夫婦共働きの我が家では、娘が1歳になる前から、地元の公立保育園でお世話になりました。
保育園の先生方は、初めての子育てを応援してくれる強い味方。
離乳食やトイレトレーニングも、保育園と家庭で協力しながらスムーズに進められたので、とても助かった記憶があります。
娘が0歳児クラスからずっとお世話になったA先生は、当時50代後半のベテラン保育士さん。
いつも穏やかでニコニコした先生で、親子ともに心から頼れる存在でした。
娘が3歳児クラスに上がった頃、園からA先生が数カ月休職するとのお知らせがありました。
腰の手術と術後の療養のためだったと記憶しています。
家族で心配していましたが、数カ月後に元気な姿で復帰されたA先生にお会いして一安心。
その時、A先生から言われたのです。
「Bちゃん(娘のことです)は、私の腰が辛いのをすごく気遣ってくれたの。重いものを持つ時に手伝おうとしてくれたり、毎日、『今日は平気?』って声をかけてくれたり。園児の中で、私の不調に気づいてくれたのは、Bちゃん1人だけ。入院中も、Bちゃんの優しさに励まされたのよ」
また、娘が5歳の頃。
夕食用にオーブンで焼き上がったグラタンを出そうとした私。
しかし、耐熱容器の熱さと重さを支えきれず、床に落としてしまいました。
幸い、床にぶちまけたのは半分くらい。
残りは無事で、家族の夕食にじゅうぶんな量は死守。
しかし、突然のことに私は叫び声をあげ、さらに容器が落下した音が家中に響き渡りました。
それを聞いて駆けつけた娘は、呆然とする私を見て、なぜか遊んでいた自室に走って逆戻り。
そして、数分後戻ってきた娘の手には、私へのお手紙が握られていました。
パニックになる私には、言葉より文字で伝えた方が効果的だと判断したのでしょうか。
「ままへ。まだ、たべるとこたくさんあるよ、だいじょうぶ。なかないで」
つたない文字でつづられた、母を思う、娘の優しさに触れてつい涙がにじんでしまいました。
今は思春期という難しい時期ですが、本当は誰よりも優しい気持ちを持っていることを、私は知っています。
娘にはこれからも、優しさを無くさずに成長してほしいと願っています。
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