こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年以上が経ちました。
義両親と同居しながら介護をしていた当時のことを思い出しながら書いています。
前回の記事:私は義父の「便利な足」じゃない! 感謝の一言もない義父の車椅子を押すのがツラい.../山田あしゅら
わがままな義父とは全く対照的な義母。
やや依存心が強いところはありますが、義父のように理不尽な要求をすることはほとんどありません。
骨折して以来、車いすでの移動が必須となり、通院とデイサービスの他、外出する機会がとんと少なくなった義母ですが、そろそろ髪の毛を切らなければならなくなりました。
義母は元来天然パーマの髪質で、伸びてくるとどうにもこうにもまとまらなくなってしまいます。
かつて現役時代は『かもじ』(髪にボリュームをつけるための義髪)を入れて常時きちっとセットしていた義母。
毎週1~2回は美容院に通うおしゃれさんでした。
当時、子育てと家事に追われていた私は美容院など半年に1回行くのがせいぜいでしたので そんな義母を恨めしく眺めていたものです。
けれど今思えば毎日朝早く仕事に出かける義母にとってこの制御しづらい『天パー』を整えるのは実に大変なこと。
この髪型に定着せざるを得なかったのは仕方なかったことかも知れません。
仕事を辞めてからは天パーを活かしたショートカットになりましたが、それでも元気だった頃までは月に数度、美容院に通っていました。
今回はそんな義母の何十年来のお付き合いとなっていた行きつけ美容院のお話です。
以前は自分の気の向くまま通っていた美容院も認知症が進んでくると家族が連れて行かないと出向くことが出来なくなりました。
家から少し離れたところにあるこの美容院。
足元がおぼつかなくなった義母を連れて行くのはなかなか骨が折れます。
それでもこの美容院に通い続けていたのは
80代後半の義母よりもほんの少し若いこの『先生』がいたからでした。
今は息子さんに店を譲り、一線からは退いているようでしたが行く前に電話をかけて先生からOKが出れば先生自らカットしてくれました。
しかし今回、随分ごぶさたしています。
その上、少しの移動も車いすが必要となった義母を連れて行くのはどんなものかとかなり迷いました。
もちろん、義母が「行きたい」と言ったわけではありませんが、 骨折してから思うように動けなくなった義母を元気づけられるのではないか?
そんな気持ちもあったのです。
そこで思い切って電話をかけたところ
ちょうど先生が電話に出て、快くカットを引き受けてくれました。
この日は長男が家に居り、義母と車いすを車に乗せ、すぐに美容院へ向かいました。
駐車場のないこの美容院。
運転手と引率、二人がかりでないと行けないからです。
車を降りると先生が入口まで出迎えてくれました。
ただ何と言っても狭い店内。
車いすで義母を移動させるのもシャンプー台のイスに座らせるのも一苦労です。
高齢の先生に無理を言ったのではないかと正直後悔しはじめました。
しかしカットが始まると先生の動きは以前と全く遜色なく
ブローまであっという間でした。
さすがは長年のお付き合い。義母の好みもよく心得ていて お陰で義母が疲れる間もなくスッキリさっぱり早変わり終了です。
長男が再度迎えに来てくれるまでの間、先生と少しだけお話できたのも義母には嬉しいことでした。
「実は、骨折してしまってなかなかうかがえなかったんです。今日、やっと来られてホッとしました」と私が言うと 先生、ちょっとびっくりされていましたが
心から何度も喜んでくれていました。
普段は何もかも忘れてしまっている義母も、先生のことはまだ記憶に残っている様子で
話が結構弾んでいました。
お互い、いい感じで合わせていただけなのかもしれませんが、義母のとびきり明るい笑顔に この美容院は義母にとって大切で特別な空間なのだと改めて思いました。
実は義母がこの美容院へ行ったのはこれが最後で その後はやむなく私がカットしたり、 デイサービスの訪問理容で切ってもらったりするようになってしまったのですが
この時の嬉しそうな義母の笑顔が今でも心に残っています。
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