<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ゆり
性別:女
年齢:44
プロフィール:実母との微妙な関係に悩みつつ、自身の子育てについて試行錯誤中。夫と子ども2人の4人家族。
高校時代に知り合った夫と私。
私はその頃はまだ学生の身でありながら、ファストフード店で夜にバイトをしたり、夫と遊んでそのまま夫の家に泊まらせてもらったりしていました。
今になってみれば、単に家の居心地が良くなかったのだろうと思いますが、当時は理由を考えたりすることもなく、親に叱られながらも思いのままに生きていました。
高校生の娘を持つ親になった私としては、当時の自分がしていたことはあり得ないことだと分かります。
夫の両親もよくそんな私のことを受け入れてくれたと今でも頭が上がりません。
夫の両親との関係は良好でした。
義父は最初、少し強面で怒ったら怖そうだな...という雰囲気の人でした。
ですがテレビで動物の赤ちゃんを見て顔をほころばせていたのを見た時、見た目と違いとても優しい人なんだろうなと思いました。
しゃべり方や声もやっぱり少し怖いのですが、人の世話を焼くのが好きで、困っている人を放っておけない性格なのだということも、だんだんと分かってきました。
義母は優しくて穏やかでおおらかで、義父のことを一歩引いて支えているのが伝わり、私にはとても仲の良い素敵な夫婦として映っていました。
ある日義父から「話があるから来てくれ」と言われました。
改まってどうしたのだろうと、ドキドキしながら義父の前に座りました。
義父の話はこうでした。
「こうして泊まりに来ているのに、息子がまだ彼女の親と会った事がないと話しているけど、どういう事だ」
顔から火が出るような思いでした。
それは私のやっている行動がよくないことだという理由の他に、自分の親に対する恥ずかしさもありました。
私の親は、夫が不良のような人だと思い込んでいた為、一度たりとも夫と会ってくれようとはしていませんでした。
義父は私のような訳あり娘に優しくしてくれている上に、息子が恋人の両親に挨拶を済ませていないことを礼儀知らずだと考える、きちんとした人なのだと思いました。
教育熱心なのは私の親の方だったのですが、そうした人としての在り方を両親から教えられた覚えはありません。
この出来事はその後も私の中に深く刻まれ、私の子育ての考え方にも影響を与えていると思っています。
若くして交際を始めた私たちは、その後一度別れることになりました。
1年ほどして復縁することになるのですが、その時に夫から「父さんがたまに、あの子はどうしてるんだ、元気にしてるのかと聞いてきていた」と言われたのです。
どちらかというと仲良く会話をしていたのは義母でしたし、どこか印象が悪い部分もあったのではないかと思っていたので、驚きました。
何よりもとても嬉しかったことをよく覚えています。
復縁から8年後、義父は亡くなりました。
今になって感じることは、付き合う距離感がそんなに近くなくても、人は「自分のことを気にかけてくれている人」に感謝の心を持つのではないかということです。
私も人に対し、義父のように接することができる人間でありたいと思えるようになりました。
また、人を肩書きや見た目で決め付けるようなこともしない方が良いことも学びました。
2人の孫を見せることが出来たのが、唯一の恩返しになったでしょうか。
私が初めて義父と会った時と同じ年頃になった上の子を見ていると、初孫を喜んでくれた義父の笑顔を思い出します。
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