<この体験記を書いた人>
ペンネーム:kaori
性別:女
年齢:55
プロフィール:息子と猫とインコと音楽とともに、大好きな文章を書いて生きる幸せ者。
20年前に私が嫁いだ夫の家は、いわゆる「地元の名家」。
たまに帰省する実家は、広い芝生の庭を備えた大きな家で、車も調度品も全てが豪華で上品でした。
三兄弟の末っ子の夫は、「いかにも」な感じの、穏やかなボンボン。
兄弟の中で1番に嫁を見つけて来て、家族に「でかした!」と褒められ、得意満面でした。
一方の私は、貧乏な家庭の一人娘で、たいした取り柄もない人間。
そんな私が「憧れていた裕福な家で暮らせる!」と、結婚当初は本当に幸せいっぱいでした。
でも...日がたつごとに、私の中に劣等感が芽生え始めました。
「こんな嫁じゃ、この家に釣り合わない、と思われているのでは...?」と気になって仕方がなくなってしまったのです。
実際、毒舌家の義父からは「どこのご出身か存じませんが」と言われたこともありました。
さらに、一生懸命頑張っていた介護の仕事を「そんな仕事は早いとこ辞めて、ちゃんとしたところで働くように」とも...。
さすがにそう言われた時には、悔しくて涙が出ました。
「たとえ裕福な人でも、いつかは人の手を借りるようになるのに...」と思いましたし、「金持ちぶった嫌な人たち」というわだかまりができ、簡単には消えてくれませんでした。
そんな中、大問題が発生しました。
結婚後少しして私は妊娠したのですが、初孫が授かったことに狂喜乱舞した義父母によって、出産後に「主人の実家でしばらく過ごす」ことがいつの間にか決められていたのです。
反論の余地も無く、何とも憂鬱な気持ちで妊娠中を過ごすことになった私。
その間も義父母の家にはおしゃれな赤ちゃんグッズが着々と用意されていました。
難産の末に無事長男を出産。そして退院の朝を迎え、フリフリのサテンの産着を着せられ、高価なクーハンに入った息子とともに、私はいよいよ豪華な赤ちゃん用品の待つ義実家へ向かいました。
お産の疲れと、初めての育児への不安と緊張で、私はもうヘトヘト。
授乳もおむつ替えも悪戦苦闘するばかりなのに、義父母は「かわいいねえ、かわいいねえ」と眺めるばかりでちっとも手を貸してくれません。
「やっぱり私みたいな嫁の産んだ子の世話はしてくれないのかな...」と悲しい気分になるばかりでした。
ある時、大泣きする息子を抱いて、いよいよ途方に暮れた私は、ついに義母に「お母さん、すみませんけどちょっと抱っこしててもらえませんか」と助けを求めました。
すると...意外な展開が待っていました。
いつもおっとり上品な義母が一変して大慌て。
「あら、あら、抱っこしていいの? ほんとに抱っこさせてくれるの?」そう言って震える手で息子を受け取ってくれたのです。
義母は顔を真っ赤にして...目には涙が浮かんでいました。
「姑は嫌がられるっていうからねえ、抱っこさせてくれるかしらねえ? ってお父さんと心配してたのよ。かわいいねえ、抱かせてくれてありがとうね」と感激する義母。
その胸に抱かれたわが子を見て、私の緊張と疲れでクタクタだった心も、なんだかふっくらと幸せに満たされるようでした。
それまでの義父母は「大事な一人っ子を嫁にもらうのに、男ばかりのむさくるしい家が嫌じゃないだろうか。
それに舅、姑は鬱陶しがられるから気をつけなきゃ」と必死だった、としばらくして知ることができました。
さらに、自分たちも「娘」が欲しかった義父母は、なんと、私に服などを買ってあげたかったと思っていたんだそうです。
そんな義両親の気持ちに気づけなかったのは、私の「ひがみ根性」があったからだな...と思うと、本当に自分が恥ずかしくなりました。
それから10年後。義母はがんで天国に逝ってしまいました。
生前は、孫をおぶったジイジをバアバがからかって大笑いしたり、相も変わらず高級ブランドの子供服をプレゼントしてくれたり。
今でも、初めて孫を抱いた時の、義母の涙は忘れられません。
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