<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Ketch
性別:女
年齢:55
プロフィール:オーストラリア在住20年、現在イギリス在住10年目、バツイチ独り身風来坊。
外国で暮らすようになり30年ほど経ちます。
別れてはしまいましたが、以前はオーストラリア人の夫がいました。
オーストラリア人と結婚してとにかく楽だと思ったのは、日本人の嫁姑のスタンスと全然違うところ。
料理を作っても「まあ、お宅ではこんなお味なのね」なんて嫌味はなく、「これが日本の料理なのね」とざっくりな感想で納得(あくまでも私のイメージです)。
家事が行き届かなくても勝手に「日本だとこうなのね」と解釈してもらえて、自分に「日本代表」のゼッケンさえつけなければこのドライさにの~びのび。
ただ、このオージー義母は、とっても倹約家だったんです。
婚約時代に、義母に晩ご飯をごちそうになったときの事。
義父、義母、そして当時まだ20代前半の旦那と私の皿には、それぞれ煮込んだ手羽元が2本と、ちょっとした野菜の付け合わせとパンが1枚だけ。
貧しいわけではないこの家庭で、若い旦那にも、働き盛りの義父にも到底足りるとは思えない量でした。
お鍋にはまだ料理があったのでおかわりすればいいのかなと思い食べ始めた途端、旦那と義母の会話にびっくり。
「おかわりあるよね?」
「あれは明日食べるから手を付けないで」
義母が冗談を言っているのかと思いましたが、真顔で答えていました。
旦那がかなり長身なのに、ガリガリに痩せている理由がわかりました。
働き盛りの男2人が黙々と大事に食べているのが気の毒で、私はもっと食べたいのを我慢して手羽元1本を残し、「もうお腹いっぱいだから食べて」と旦那の皿に捧げました。
「え、ほんと? いいの? お父さん、1本もらったから半分ずつ食べよう!」
そういって小さな手羽元をちまちまと分ける旦那と義父。
義母は「あなたは本当に小食ねえ」と私を見てあきれ顔でした。
いつも食べきれないほど振舞う母に育てられた私には信じられない光景で、「結婚したら毎回お腹いっぱい食べさせてあげよう!」と決意した夜でした。
義母はまた、神経質でもあり、家族の誰かが風邪をひくと、使う食器もすべて別にして完全隔離します。
念のために言っておきますが、今回のコロナ騒ぎの20年も前の話ですよ。
もともと日本と違って、風邪をひいても頑張って会社に行くと嫌がられるお国柄なんです。
他の人にうつるから迷惑だ、休んでくれと。
這ってでも来い! という日本の根性論とはかけ離れた常識ですが、理に適っていますよね。
まあとにかくそんなオーストラリアで、結婚早々風邪で寝込んでしまったときの事。
出勤した心配性の旦那から、近所に住む義母にちょっとした食料品の買い出し頼んだからとの知らせが入ります。
「余計なことを......」と思いながら散らかった部屋が気になったけれど、風邪の輩がいる部屋に絶対入ってくるはずはないと先読みして、無駄な掃除は却下。
やがてピンポンの音がしてドアを開けても姿が見えず、あれ? と思った矢先、にゅっとスーパーの袋を持った手だけが現れ......ハンカチで口元を押さえた義母が顔も逸らして立っていました。
袋には牛乳、バナナとパンという非常食。
「ありが......」と言いかけた私の声を遮るように「レシートは中に入ってるから」と一言。
いや、払いますよ、払いますけど、挨拶もないままそれを言わなくても......。
しかも、病人が触ったお金じゃなく、元気になってから払いに来てくれと言い残して去って行った義母。
その徹底ぶりはあまりにも見事で、私はいつも家族や友人に話すときのネタにさせてもらっていました。
こんな風にちょっぴりギョッとするときもありましたが、ベタベタした関係よりこれくらいドライな距離感が私には心地よかったです。
いろいろあって10年前に旦那とは離婚してしまいましたが、義母とは今もお互いの誕生日やクリスマスにメールをやり取りする絶妙な関係が続いています。
彼女が旅行でイギリスに来た時には数年ぶりの再会を祝して、昼からワインを飲んで何時間もおしゃべりしました。
そう考えると意外と仲良しなのかも? こんな関係もありなのかな?
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