<この体験記を書いた人>
ペンネーム:大家ぽん子
性別:女
年齢:64
プロフィール:専業主婦です。1歳上の夫と猫2匹と暮らしています。新型コロナ流行の今、がん検診は受けるべきか悩んでいます。
今から45年ほど前の話です。
私がまだ学生だった頃、当時54歳の父が胃がんを患いました。
職場の検診でたまたま胃潰瘍が見つかり、その後病院で詳しく検査したところ、ごく初期のがんだとわかったとのことでした。
父は陽気な性格で子ども達に偉ぶることもなく、今でいう「友達親子」に近いような関係でした。
父はがんが見つかったことも手術になることも、普段の食事の会話の中で、なんてこともないように話してきました。
「がんが見つかった。運良くごく初期段階で見つかったから、手術で治るそうだから」
まだ若かった私は、言葉のままにそれを受け取っていました。
しかし、母は違っていました。
「手術後は不安だから、交替で数日間病室に泊まってほしい」
私たち兄弟にそう頼んできました。
当時の私は「あんなに陽気な父でも不安になるのかな」と思ったことを覚えています。
さらに、手術前に「記念だから」と家族みんなで病衣姿の写真まで撮っている父の姿に、「看護婦さんに迷惑をかけて、こんな時にふざけないでよ」と、とても恥ずかしく感じました。
そうして手術後。
個室だったので、母と私と兄たちが交替で父のそばで何日か寝泊りをしました。
病院が意外と夜中も騒がしかったこと、付き添い用のベッドがガタガタで寝心地が悪かったことは覚えています。
でも...逆にそんなことしか覚えていないくらい能天気だったのは私の方でした。
今、自分が「当時の父の年齢」を超えて、分かる気がするのです。
父はきっと「死ぬこと」も覚悟していたのでしょう。
がんと言えば不治の病と思われていた時代の話です。
手術をしても、半分くらいの人は助からないと言われていました。
写真を撮ったのも、私たちを病室に泊めたのも、自分が不安なだけではなかったのかもしれない...そう、今は思うんです。
就職してすでに地元から離れた兄たちが、自分の死に目に会えなかったら一生後悔するだろうと考えたのかもしれません。
幸いにも父は順調に回復し、だいぶ痩せてはしまいましたが、その後大きな病気をすることもなく、数年前に95歳で亡くなりました。
あれから40年以上たち、私もあのときの父の年齢を越えました。
学生と社会人になりたての子どもを抱えて、命にかかわるような病気の手術をすることの怖さが今になってわかります。
自分が死んだら残された母はどうやって生きていくのだろう。
まだ学生だった私の将来はどうなるのだろう。
仕事を始めたばかりの息子たちは、相談相手がいなくなってつらいのではないか。
後から知りましたが、父は仕事に悩む兄達の相談にもよくのっていたのだそうです。
父自身も、そのころはちょうど仕事で責任がある立場になっていた年代です。
それを手放さなければならないかもしれない事の無念さなど、父の当時の気持ちを想像すると、胸が締め付けられるような気持ちになります。
親の年になってようやくわかることもあるんですね。
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