<この体験記を書いた人>
ペンネーム:2代目
性別:男
年齢:48
プロフィール:妻(48歳)と二人の子どもと暮らす48歳の小学校教員です。父(76歳)はバブル全盛期の銀行員でプライドの塊です。
「まいったよ、勝手に願書を出されるとは思わなかった」
「いやなら行かなきゃいい。おじいちゃんには俺から言ってやるよ」
「でもさあ、良かれと思ってやってくれてるんだよね。受けてみるぐらいは......」
「それこそ思うつぼだぞ」
令和元年の7月、息子(18歳)が複雑な表情で見せたのは推薦入試の受験票でした。
経済系の私立としては名の通った大学です。
私も妻(48歳)も何の相談も受けていませんが、願書を出したのは私の父、つまり息子の祖父です。
私も妻も公立小学校の教員で、長女(21歳)も教員志望で教育系大学の3年生、バリバリの教育一家を自認していますが、このことにいたく不満なのが父です。
父は元銀行員で、昭和から平成を勤め上げ、「銀行のステータス」の信奉者です。
息子である私が銀行員にならなかったことをいまだに根に持っています。
「どうだ、こんないい肉はなかなか食えんだろう?」
父が母(74歳)と暮らす実家はすぐ近くなので、週に1度は実家で食事をするのが決まりになっています。
そんなときはいつも豪勢な食事がふるまわれます。
「年金生活とは言え、公務員の薄給よりは余裕があるからな、ほら遠慮せんで食べなさい」
孫にも自慢たらたらです。
「ゆう子さん(妻の名前)にも申し訳ないな、共働きしないと子どもを大学に行かせるのもままならんという所か?」
アルコールが入るといよいよ嫌味全開です。
「いえ、私が働きたいとわがままを言ってるんですよ」
妻が応じると、ますます饒舌になります。
「そうだな、小学校の先生なんて女の方が向いてるってもんだ、なあ」
私が教育系大学に進むと決めた時も大騒動でした。
相談すれば反対されるのは目に見えていたので、父が勧めた大学の受験はすっぽかし、自分で申し込んだ教育大学だけを受験しました。
合格が決まってから母に話すと、母は喜んでくれたのですが、それを知った父は大激怒して記憶に残る一言を私にぶつけました。
「先生なんて、ヤクザな商売は認めんぞ!」
この名(迷)言にはさすがに母も驚き、珍しく父をたしなめてくれました。
結局、勘当同然の寮生活で大学時代を送ることになりました。
母がこっそり送ってくれた仕送りで何とか就職までこぎつけたものです。
そんな父が、なんとしても銀行員の後継者にしたいと、目を付けたのが息子です。
「ゆき子(長女の名前)はしょうがない。はるたか(息子)だけは譲れんぞ」
父はそんな勝手な理屈をぶつけてきます。
「男たるもの、もっと高みを目指さなければいかん」
息子も教員志望なので、そのことを本人からも伝えさせたのですが、一喝される始末です。
息子が高3になってからは、銀行員時代の人脈をフル活用して経済系の大学の推薦枠を探っていました。
今回は、息子の高校に成績証明書の交付を申請し、推薦入試に滑り込むのに成功してしまったようです。
「まあ、受かるとは限んないし、受ければおじいちゃんも納得するんじゃない?」
息子は飄々としたものですが不安です。
「推薦で受かってしまったらどうするんだ? 受かったのを蹴ったら余計面倒だぞ。教育大に行くんじゃないのか?」
「う~ん、まあ受かったらそん時はそん時で。何とかなるっしょ」
息子はおじいちゃん子なので、父の顔をつぶさないようにしてやりたいようです。
「はるたか! 男は何といっても銀行員だ! 日本の根っこを動かしてるのは金融だぞ!」
今日の夕食も父の独演会でした。
息子は軽く受け流していますが、私と妻は何とも苦々しい思いをかみつぶしています。
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