認知症の母と、それをうまく受け入れられなかった父が遺した「奇跡の遺影」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ぴろ
性別:女
年齢:54
プロフィール:最近は介護もなくなって、ぽかーんとしています。自分らしいことを何か始めたいなぁ。

認知症の母と、それをうまく受け入れられなかった父が遺した「奇跡の遺影」 25.jpg

今年母が亡くなりました。

2年前には父が亡くなっていたので、両親ともいなくなってしまいました。

順番といえばその通りなのですが、今思えばあっという間だったという感じです。

父の穏やかな笑顔の遺影を見ると、父のことを思い出さずにはいられません。

母は亡くなる7年ほど前から認知症になっていました。

父が亡くなるまで二人一緒に暮らしており、最初のうちは目立ったおかしなことはなかったのですが、どんどん自分でいろいろなことをするのが難しくなっていきました。

父は母に家の中のことを任せっきりだったので、どこに何があるのか、近所付き合い、家事すべてが父にのしかかってきました。

介護生活が続いていくなかで、父も母もどんどん疲れて壊れていきました。激しく言い争う喧嘩が起きたり、毎日のように電話がきたりしました。

行政の手も入っていましたが、それだけでは補いきれないこともあり、私が実家に帰る頻度も増えました。

私が帰ると二人の間にクッションができることと、家事の負担が減ることで、家の空気が少し和やかになりました。

そんな時に父に「もう無理だったら言ってね。離れて暮らすことになるけど、その方がいいかもしれないよ」と伝えていた私。

私は母を呼び寄せて一緒に暮らせたらと思っていました。

父のためというより母のための提案です。

父は母の認知症を理解しようとしてもできないでいました。そのため母を激しく怒ったりしていました。

父の気持ちもわかるけど母の認知症が進んでいくのが辛かったのです。

父が亡くなる3日前に電話がきました。

いつも母の愚痴の電話がくるのですが電話の最後に「もう離れて暮らす?」と聞くと「いや。まだできるから」と決まって言っていた父がその日は「俺にはもうわからなくなったから、今度お前が来たときに決めてくれ」と言ったのです。

ああ、もう限界なんだなと思いました。

父は若い頃からあまり笑わない人で、性格は頑固で、無口で自分勝手。幼いころから私には良いイメージがありません。若い頃の二人は夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。協調性もないため、職場でも周囲とうまくやれていなかったのでは、と思います。

退職後、趣味の釣りや山菜採りができるようになってから、父は少し変わったと思います。

ストレスがなくなって人生を楽しめるようになったのかもしれません。母も自分の兄妹たちと旅行に行ったりしていました。

この頃の父と母は一番仲が良かったように見えました。

この時期に撮ったのが遺影の写真でした。これまで私が見た中で最高の笑顔の写真です。

母の妹(私には叔母)は写真が好きな人で、遊びにきたときに「これからは遺影も準備しておくのがいいんだよ」と言って無理やり撮った奇跡の一枚です。

子供の私にはわからない夫婦の関係。二人が幸せを感じて暮らしていた時期は短くても確かにあったんだと、遺影を見ると思います。

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