<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ふみちゃん
性別:女
年齢:52
プロフィール:パート勤務の主婦です。子供はなく、夫と2人暮らしています。1人で暮らす79歳の母親が心配です。
私の母は、現在79歳です。
私は嫁にいき、弟もひとり暮らし、父も8年前に亡くなったため、かつては家族4人で暮らしていた一軒家に、今は1人で暮らしています。
母は、無料パソコン講座にノートパソコンを詰め込んだリュックを背負って駆けつけたり、公民館で安価の「100歳ダンス教室」が開催されれば、「みんなで100までダンシング」と近所の友人を巻き込んで踊りまくったり、市営ホールでオーケストラのボランティア演奏会が催されれば、ちょっとオシャレして鑑賞したりと、毎日忙しく、すこぶる元気に暮らしています。
たまに母に会うと、マウスが動かなくなったのでパソコン講座の先生に尋ねたところ「電池が切れていますよ」と言われ、「えっ、電池で動いているの」と驚いただとか、オーケストラの演奏を子守歌によく眠れただとかの武勇伝? に始まり、「膝の痛みが和らぐわよ」と即席のダンスを披露することもあり、そのパワーに圧倒されます。
そして、武勇伝の締めくくりは、いつも決まっています。
「お父さんやアンタたちがいた頃は、自分の趣味の時間は持てなかった。だから今は充実している。1人のほうがいいよ、寂しくなんかないよ」
夫や子どもの世話から解放され、家庭に縛られることなく、同年代の似た環境の友人と自由気ままに第二の人生を謳歌している。確かにそれは嘘ではないでしょう。
私もずっと母は「これでいいのだ」と、「1人で幸せなのだ」と信じていました。
......そう、あの日までは。
母が口で言うほど寂しさと無縁でないと知ったのは5年前、1人で帰省したときに遡ります。
帰省といっても、我が家からは1時間30分で行ける距離なので、いつものように日帰りのつもりでした。
ところが、その日は急な雷雨があり、電車が止ってしまったのです。
母は「これは泊まっていくしかないね。アンタの部屋に布団を敷いておいてあげるから、お風呂にでも入っていなさい」と、やけにウキウキしていました。
けっきょく泊まっていくことにし、母が沸かしたお風呂に入り、久しぶりに自分が使っていた部屋に足を踏み入れました。
父の部屋も弟の部屋も物置になっているのに、私の部屋は私が残していった家具以外は置かれていませんでした。
母が敷いてくれた布団は、お日様の匂いがしました。
きっと昨日のうちに干しておいたのでしょう。
昨日だけでなく、私が訪れる前日は「もしかしたら泊まっていくかも」と、いつも干していたのかもしれません。フカフカの布団にくるまれて、昔風の高い天井を見上げながら「うちは、こんなに広かったのか」としみじみと思いました。
家族4人で暮らしていたころは、台所もリビングも、お風呂もトイレも何もかもが手狭で、「もっと広い家に住みたい」と願ったものです。
でも、現在は広い。
家族4人が寝起きし、くつろぎ、ときにはケンカもした家は、80歳近い母が1人で暮らすには、あまりも広い、広すぎます。
こんな家に1人で住んでいて、寂しくないはずはないと、今更ながら気づきました。
その後も母は「寂しい」とはけっして口にしません。
泣き言をいったら、私や弟が困るのをわかっているのでしょう。
だから、母は今日も「寂しくない。気楽に楽しくやっている」と繰り返します。
母の強がりを、私は気づかないふりで聞いています
あとどのくらい、母は強がっていられるのでしょうか。
いつまでも、母が強がっていられることを願うだけです。
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