<この体験記を書いた人>
ペンネーム:べるべる
性別:女
年齢:41
プロフィール:介護離職した未婚の主介護者。71歳の母と共に、76歳で脳血管障害後遺症を持つ父の介護を行っています。
忘れもしない20年前の12月、まだ私が大学に通っている頃に父は56歳の若さで脳出血で倒れ、左半身機能全廃という障害をおいました。そこから、私と母の介護生活が始まるわけですが、当初は母が主介護者として頑張っていました。しかし、母も歳を重ねるにつれ体力の問題などにより介護の主従がゆっくりと入れ替わり、気がつけば今では私が主介護者という年齢に達してしまいました。
ですが、いまだに主従が変わらないものが一つだけあります。それは車の運転です。左半身機能全廃は介護が必要な車椅子生活ということになるのですが、当然、遠距離の移動には車を使う必要が出てきます。例えば通院。主治医である脳神経外科はもちろん、整形外科、皮膚科、耳鼻咽喉科などなど毎月のように行かなければならない病院は数多くあります。また、気晴らしに外へ連れ出すにも車は必須の存在です。その運転は、母が71になった今も私ではなく母の役目になっています。何故なら単純な話ですが、私が車の免許を持っていないからです。というより、持てなかったと言うべきかもしれません......。
今となっては、免許を取らないという判断が正しかったのか大いに悩ましいところではありますが、私は運動神経が非常に悪いため運転が怖く、自分が運転したなら確実に事故をおこしてしまう自信がありました。車の車庫入れなどで周囲に擦らないようにバックで入るなんていう当たり前の操作すら、離れ業に見えるほどです。そんな私ですから、運転に関しての「主」を受け持つことは当然できません。
しかし昨今、高齢者による交通事故が社会問題になっています。何十年も運転してきた母の技術に危なげは全くありませんが、それは決して永遠には続かないはずです。いつか母にも免許返納というときがくる。それは、今の介護体制の崩壊を意味します。きっと、市から父(76になる身体障害一級保持者)に与えられているタクシーチケットなどを利用した介護スタイルへの切り替えるのだと思いますが、確実に不便にはなりますし、自由も大きく制限されます。
今からでも免許を......と思ったこともありますが、若い頃ですら無理だったものが、今できるとは到底思えません。運動神経の悪い新米中年ドライバーが、高齢ベテランドライバーより安全とはどう考えても思えないのです。せめて新米ではなく、昔に免許を取っていたら......などと詮のないことですが考えずにはいられません。
緩やかに母と私の間で主介護者が入れ替わったように、どんな完璧な介護体制も時間とともに変化を余儀なくされます。免許の返納は確実に来る未来です。そのとき、どのような介護体制に組み直すのか、何を諦め、何を受け入れるのか......。TVで高齢者による交通事故が報道されるたびに、私の頭の中でモヤモヤとした不安感が押し寄せます。
まだお若い方で、免許をお持ちじゃない方は免許を取っておいた方がいいのかもしれません。少しでも慣れておくと、私のように出口のない悩みに捕らわれずにすむのかもしれません。今の生活に不要でも介護に車は必須ですし、介護は遠からず皆の上にのしかかってくるのですから。
母が免許を返納すると決める日、そのとき私には何ができるのでしょう。家族の生活を何処まで守れるのでしょう。先送りできない問題にモヤモヤは尽きません。
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