<この体験記を書いた人>
ペンネーム:nana77
性別:女
年齢:60代
プロフィール:子供がひとりいます。40代でシングル、苦い事実婚を経験し、今はぼっち生活です。
40代で子ども一人を引き取り調停離婚をし、その後はシングルマザーとして懸命に働きました。数年後、仕事関係でのちの事実婚のパートナーとなるバツイチの彼と知り合い、1年ほどの交際後、プロポーズを受けました。ですが、私は子ども(女の子)は生まれたままの苗字で結婚させたいという希望があったのでそれを伝え、彼も納得してくれ事実婚という形になりました。
まもなく一緒に生活をするようになって、二人で新しい会社を立ち上げました。会社が軌道に乗るまでは夢中で、休みはお正月とお盆だけ。毎日休まず、朝は8時から夜中の2時、3時まで働きました。二人してほとんど寝ずに仕事をする日々です。そして10年たってやっと会社も軌道にのり、子どもも成人して二人でゆっくりと買い物や旅行に行こうと言っていた矢先、彼が肺がんを患ってしまいました。発見が遅くすでに手遅れの状態で、1年半の闘病生活の末、彼は静かに息を引き取りました。
事実婚である私は、彼の親戚にとって彼の妻ではなく都合の良い女でした。私は一生懸命看病してたので本妻のようだからと入院費、お葬式代、四十九日までの行事はすべて私がやることになったのです。また、私とはまったく関係ないお墓の開眼料(お骨をお墓に入れるときのお金)から四十九日にいらした方への手土産(肉親・親戚)まで用意する始末。ですが、財産分与は当然のことながら事実婚である私はなんの権利もないのです。懸命に働いて得たものを元妻や子どもたちから要求されました。彼の地元では彼が亡くなった噂を聞いて、彼の子どもを産んだという人まで現れ、彼との間に子どもがいなかった私はすべてにおいてなんの権利もありませんでした。彼と築いた財産を一瞬にして失いました。それは彼との思い出も失ったように思いました。それなのに闘病生活期間の治療費や入院費、あわせて1,000万くらいについては誰も返す、払うと言ってくれませんでした......。
そんな悲しい思いをしないためには、事実婚であってもまず住民票は世帯主との間柄を内縁の妻にしておくことが大切です。さらにできれば扶養してもらうのがベスト。私はひとつの住所に彼と私の世帯主がふたつあったので生活費を分け合っているという解釈がとてもむずかしく、残念な結末になってしまった。事実婚であると遺族年金の請求もできるのですが、それもかないませんでした。今思えばせめてお互いに遺言を書いておくべきだったと後悔しています。
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