<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ゆらら
性別:女
年齢:51
プロフィール:30歳の娘と75歳の母と暮らしています。娘はまだ働いたことがなく、自分の身の周りのことも人任せで困っています。
私が離婚をしたのは娘が小学校6年生の時でした。
娘は学生の頃に不登校だったりしたこともあり、私はとにかく力になれることはなろう、何でもできる限り応援しようと頑張ってきました。
朝は機嫌良く起きてきたかどうか、体調は悪くないか、何が食べたいのか、どこか行きたい所はないか。
とにかく娘の考えることを自分なりに想像したり、顔色を見たりしながら生活してきました。
でもそんな育て方をしたせいで、娘は「何もできない大人」になってしまいました。
思い返せば離婚後、しばらくの間は生活のために働くことに必死で、娘のことを気遣う余裕がありませんでした。
しかし、中学2年生の時に娘が不登校になったことをきっかけに、私は娘の気持ちを考えていなかったことに気付き、とても申し訳ない気持ちになりました。
働く時間以外はできるだけ娘の為にできることをしよう。
その頃からそう考えるようになった気がします。
本を読むのが好きな娘を本屋さんや図書館に連れて行ったり、学校に行けなくても何か楽しみがあれば外に出られるだろうと買い物に誘ったり。
「何がしたい?」
「何が食べたい?」
「こんなのはどう?」
先回りして娘のことを考えて、できるだけのことをしてきたつもりです。
でも、それは自己満足で、結局は娘を甘やかし、気持ちを押し付けていただけだったようです。
その証拠に、娘は何をするにも私のせいにするようになってしまいました。
「ママが言ってくれなかったからやらなかった」
「ママがやってくれるから良いと思った」
そう言って、娘は身の周りのことを何一つやらなくなっていることに気付きました。
自分で働いてお金を稼ぐことも「できる気がしない。きっと無理」とチャレンジしてみようともしません。
学生時代の友達は進学したり就職したりする中、どんどん取り残される気分になり余計に自信を失くし、何をするにも「きっと無理」と動くことがありませんでした。
そしてついに30歳になってしまったのです。
何もしない、できないとふさぎ込むのも困るのですが、娘は私に対する要求だけはしっかりしてきます。
例えば、台所や食事のテーブルの上に、私が使って片付け忘れたコップや、買い物のレシートがあるとします。
すると私が近くにいなくてもわざわざ呼び寄せて「なんでここにあるの?」と聞いて来ます。
ティッシュペーパーが空になったことに気付かずにいると「なんで空っぽなの?」と聞いて来ます。
お風呂上がりに足元にマットを敷き忘れていると「なんでマットがないの?」と。
どれも私が忘れっぽいことがいけないのですが、いちいち私を呼んで聞くまでもないと思います。
私がやらなければいけないことではないのです。
「なんで? って言っても理由はないよ。忘れただけ。自分でやってくれて良いんだよ」
ちょっとイラっときてしまい何度か言ったことがあります。
でも娘は反論するわけでもなく、相変わらず「なんで?」繰り返すのです。
母との同居が始まってからは更に頻繁に言われるようになりました。
トイレの電気を消してなかったり、とんでもない所でスリッパを脱いで忘れていたり。
これは母の年齢的なもの、ただの物忘れだと思います。
それでも娘は「なんで誰もいないのにトイレの電気点いてるの?」とか「なんでこんな所にスリッパが脱いであるの?」と繰り返します。
娘自身も忘れることはあるので、「お互い様」とか「気遣い」という気持ちさえあれば、自分で片付けることもできるはずです。
今は「なんで?」と言うだけの娘が変われるよう「自分でやって」と繰り返すことしかできません。
子育てを間違えたことが、私自身のストレスを増やすことに繋がってしまったと反省しています。
それでも、いつか娘が変わってくれることを信じるしかありません。
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