毎日が発見ネットの連載で「キッチン夫婦(妻)」としておなじみのべにゆうさん。彼女は40歳の時、14歳の息子がいる夫と結婚、以来、8年間にわたって生活を共にしてきました。ある日、中学2年生の多感な男子の母親になる――。継母としていろいろな出来事や、想いがあったと言います。今回は夏の特別連載として、10日間連続で「40歳の女性が、ある日、14歳の継母になった物語」をお送りします。
【前回】自分の道は自分で決める。退学した息子が再び笑顔を取り戻すまで
【最初から読む】40歳だった私が「14歳男子の継母」になることを決めた日/14歳男子の継母になった私(1)
ついに巣立ちの時を迎えた息子。家族になってくれてありがとう
息子は大学2年生になって、講義についていけないことで悩み、結果として退学することを選択した。
だが、その後に入った専門学校(職業訓練校)は息子に合っていたようで、"自分の将来の仕事はこれだ"と確信を持ちながら学校へ通えたようだ。
学校は1年間。
すぐに就職活動の時期がきた。
以前から息子は「就職の時には宮城からは出る。たぶん東京」と宣言していた。
それは私と結婚前の中1の頃からだったらしい。
そして就職活動が始まると息子はやはり、東京での就職を狙った。
夫は、最後の"悪あがき"ではないが、「地元にいたらたぶんお金も貯められると思うし、こういういいことあるよ~」みたいに話すこともあったが、心の中では息子が県外へ出るのは仕方ないと覚悟していたようだった。
ついていることに第一希望の会社に就職が決まり、再び将来への希望を膨らませていた。
精神的にも以前よりだいぶ余裕が出たのが見えた。
そんな息子の様子を見れて嬉しかった。
4月入社の予定だったが、コロナの影響で研修のスタートが6月半ばからに変更されて始まった。
研修先へ向かうために飛行機を利用する息子を夫と見送りに行ったが、空港へ着いてからの会話は普段と変わりなく、夫も特別感傷的な様子は見せずにいた。
空港の屋上から息子が乗っている飛行機を見つめる。
離陸体制に入り、飛び立つ飛行機に夫が純粋な表情で懸命に手を振っていた。
それを横目で見た私は"ほんとにあの飛行機なの?"と思いながらも、見えなくなる頃には一緒に手を振っていた。
別れ際には、夫と私がそれぞれ書いた手紙を息子に渡した。
私は一度も息子に「寂しくなるよ」とか「地元で就職したら?」ということを言ったことはない。
心の一番奥ではそう思っているが、言ったことはない。
言えないのか、言わないほうがいいと思っているのか.....どっちだろう、どっちもみたいだ。
私のそういう「あえて気持ちを言わない」性格について、「息子は距離を置かれていると感じてしまうだろう」と夫に言われたことが何度かある。
私もそうだとは思う。
だが正直なところ、私の心の内はずっと複雑なまま。
夫が息子に「べにゆうさんのこと"お母さん"って呼ばないの?」と聞いたことがあって、その時息子は「呼ぶことに抵抗はないけど、べにゆうさんをお母さんと呼ぶと〇〇にいるお母さんがかわいそうだし」と言ったそうだ。
それを聞いてはっとした。
そんな風には考えたこともなかった。
本当は、寂しい。
だけれども息子には産んでくれたお母さんがいるし、息子と連絡も取り合ってもいる。
それがいいと、私も思っている。
だから変な言い方をすれば、息子を私が"とってはダメだ"という思いもあったし、それは今もだしきっとこれからもそう思ってしまうだろう。
息子を思うことや家族としての信頼関係を築いていくことを頭に置きながら、でも思いを入れ過ぎないないようにした方がいいんだと思ってきた。
息子を大好きになって大事になりすぎたら、先々自分がかえって辛くなると思っているところが、どうしてもある。
息子には自由がある。
産みのお母さんやその家族、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。
私は息子のことを大事に思って一緒に暮らしてきた自信があるが、誰か以上に、何か以上に、「息子の心のよりどころ」として存在するに値するという自信はない。
夫にはそれが疑いもなくあると思う。
息子が14歳の秋から21歳の夏まで一緒に家族として過ごしてきた私。
息子が20歳の時に養子縁組をした。
夫はもっと前に養子縁組の提案をしてくれていたが、その時私は「息子がもっと世の中をわかってからでいい」「もう少し自分で考えられるようになってから」と言った。
息子が遠くへ行ったら寂しいし、近くに住んでてもらいたい。
でも就職の話の時は「地元は出る。東京で働きたい」という息子の発言の方に積極的にではないが同調して話していた。
一方夫は素直に寂しい気持ちを口にしていたので、"父親がそんな風に言うかぁ?"と思いつつも、どこかでうらやましかった。
それは実の子であってもそうだと思うのだが、私は自分がもっと歳をとって生活が大変になってもやっぱり息子には迷惑をかけたくないという気持ちが強い。
夫が息子に「俺に何かあったらべにゆうさんを頼むな」と言うと「うん」「恩があるから」と言ってくれたそうだ。
そんな風に言ってくれたこと、やっぱり嬉しい。
それを聞いて「ふ~ん」としか言わなかった私だけど、内心"いやいや、恩なんて......私何をしてあげただろう...."と思うばかり。
Yという息子がいて3人で暮らせた8年間は、私の人生の中でも幸せで大切な時間。
充実した濃い毎日だった。
ただし、息子は夫のものでも私のものでも、誰のものでもない。
息子が考え、そうしたいと思ったことをしていって欲しい。
手紙で、「約8年間、私と一緒に家族として暮らしてくれてありがとう。幸せでした。」と伝えることはできた。
私の心は"息子に何かを求めてはいけない"と言っている。
どうしたいかは息子が考えて決めることだと思っている。
研修が始まってから2週間を過ぎた頃、息子から夫へLINEが。
「お父さんとお母さんにプレゼント買う予定だよ」
夫が聞き返す。
「お母さんってべにゆうさんのこと?」
息子「そうだよ」
あっ、あー信じられない!
私のことを「お母さん」と書いている。
目をつむってかみしめた。
お母さん。お母さんか。
"お母さん"て言葉....私にも分けてくれた。
ありがとう。
その言葉、胸に抱きしめる思いです。
大事にしたい。
<終>
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