毎日が発見ネットの連載で「キッチン夫婦(妻)」としておなじみのべにゆうさん。彼女は40歳の時、14歳の息子がいる夫と結婚、以来、8年間にわたって生活を共にしてきました。ある日、中学2年生の多感な男子の母親になる――。継母としていろいろな出来事や、想いがあったと言います。今回は夏の特別連載として、10日間連続で「40歳の女性が、ある日、14歳の継母になった物語」をお送りします。
【前回】大学に行かず引きこもる息子。母親として、私に「できること」は...
【最初から読む】40歳だった私が「14歳男子の継母」になることを決めた日/14歳男子の継母になった私(1)
休学や退学も視野に入れて。カウンセラーに導かれて出した結論は...
息子が14歳中2の秋に、夫と私が結婚し3人での暮らしが始まった。
それから高校生活を経て約4年半後、晴れて希望の大学に通うことになった息子だったが、どうしても講義の内容についていくことができず、大学に通えなくなっていた。
行かなきゃないと思っているし、本人は行きたいけど、行けないと訴える。
恥ずかしいという気持ちから友達にも先生にも誰にも相談ができず、押しつぶされそうになっていた。
息子のためにはどうしたらいいか、連日夫と話し合ったが、お互いの考えに納得がいかない。
そもそも"息子のためには"と思う方向も違っていた。
これはもう夫とは意見が合わないのかなぁと思ってしまうぐらい、夫婦間のわだかまりの元になりかけていたのを感じた。
けど息子を小さい頃から見てきた夫の方が心境的には私よりずっと辛かったはずだ。
なのに私はそれを支えることが難しかった。
息子は自分でもどうしたらいいかわからなくなってギリギリだったようだ。
学校へは行かなくなっていたのでアルバイト以外の時はずっと家にいた。
近い将来の目標も見えなくなり、息子の心がめちゃくちゃになってしまわないか、私たち夫婦の中にも不安が広がってきていた。
私は休学や退学してもいいと思っていたが、それをはっきりとは言わなかった。
夫の両親は成績がどんなに悪くてもとにもかくにも卒業することを願っていたし、夫は勉強以外の大学生活も楽しみながら卒業してくれることを希望していた。
そして、息子本人も「せっかく入ったんだから、卒業はしたい」と思っているのはよく知っていたからだ。
それに、本人が願う限り、そうできるようになんとかしたかった。
そして私自身も誰か他の相談相手が思い浮かばなかった。
今考えると、母や友達には相談しても良かったのに、その時はたぶん何か理由があってそうしなかった。
考えついたのは、インターネットで有料の専門カウンセラーに相談すること。
結果...、相談して本当に良かったと思っている。
それは、まず息子のことも私達夫婦のことも否定せずに、むしろ肯定しながらアドバイスをくれたからだと思う。
息子が、大学は休学していても親と一緒に毎度の食事をしていることや挨拶は欠かさないこと、バイトには休まず行っているいることなど褒めてくれた。
状況や心情を細かく分析し温かい言葉で説明、わかりやすく導いてくれた。
そのカウンセラーの方には息子の大学のことで2度相談したが、2度ともその回答を読んで夫も私も涙が出た。
応援してもらっているという気持ちをじんわりと感じ、その後、夫と私の気持ちがやっと1つに向かっていけた気がした。
私達自身も救われた気持ちになった。
カウンセラーの方のアドバイスをもとに、息子の真面目な性格やジレンマを抱えている点に注意し、言葉を選んだ上で息子と話し合った。
その中で初めて、大学を休学または退学するという選択肢もあることを伝えた。
「2年生になってからは休学しているのと同じ状態だから、休学届けを出して休学してもいいんだよ。学校からいったん離れて、バイトしながらでも生活のリズムさえ守ってくれたら、他に好きなことして、その間に大学をどうするか考えてから結論を出していいんだよ」と。
その時夫は「お父さんが大学大学って言ったのもあるし、悪かったな」と謝るように言った。
息子は泣きながら首を横に振っていた。
息子は、「もう1回大学に頑張って行く。行ってみる。でもそれでもダメだと思ったら、その時は辞めたほうがいいと思う」
その後、息子は大学に通ってみたが、やっぱり無理だという結論を自分で出した。
「大学に入ったけど、どうしても合わないからって辞めた人、何人か知り合いにもいるよ。だからってその人達のこと嫌いになったりしないし、辞めた人が悪いとか全く思わないからね。今はすごい辛いと思うんだけど、でもたぶん.....あとどれくらい経ってからかわからないけど、これから振り返った時、大学辞めたってこと、もしかしたら自分の人生にとって気にならないくらいになってるかも知れないと思うんだ」ということも伝えてみた。
大学を中退した息子が「自分で見つけた、自分の進む道」
退学してちょっと落ち着いた頃、息子が「したい仕事がわからない」と言う。
そこで、息子はもう1度自分が将来どういう仕事をしたい、どんな適性があるのかを考え直すことにした。
どんな仕事が世の中にあるのかもわからないので、ハローワークに登録し職業適性を受けたり、相談しに行っていた。
私達とも「こういう仕事ってどうなんだろう?」「こういうのがあるって聞いたけど?」とか話をしながら、息子なりに絞っていったようだ。
その中から最終的に電気工事の仕事に興味を持った。
息子は自分の選択にお父さんの思いを無意識に汲み取ってしまうことがあったが、「電気工事士を目指す」と言う選択は、息子自身が選び決めたことだ。
そして専門学校の選択もお父さんの希望より、自分が見学に行った上で決めた。
専門学校が始まるまでは、退学してしまった自分の状況とその先のことをかなり不安に思っていたようだが、始まってからは前向きな言葉をたくさん聞けた。
「この仕事、俺に合ってる気がするんだよね」
20歳になってお酒が解禁になってからは、飲みながらなんと...!
「俺の将来は明るい」宣言!?
そこで、夫の笑顔が満開に!
あぁ~辛さで押しつぶされそうになっていた息子。
3人で思い悩んだ頃から1年くらいしか経ってないのに、こうも良い方向に変わったなんて、ほっとした。嬉しかった。
夫と私も一つ大きく安堵した。
こうして自分の将来を見据える選択をできた息子。
「卒業したら、宮城にはいない。家は出るから」
夫は悲しそうだった......
そうだよね、わかっていても、寂しいよね。
夫だけじゃない。私だって寂しいし、できれば近くにいて欲しい。
でもそれはずっと口にしないままでいた。
心の中はとても複雑で「いなくなったら寂しい」ということさえも言えずに、というかあえて"言わずに"、息子が乗る飛行機を見送った。
次回...最終回に続く。
【次回】「お母さん」って言葉...私にも分けてくれてありがとう。/14歳男子の継母になった私(10)
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