<この体験記を書いた人>
ペンネーム:NUTS
性別:女
年齢:51
プロフィール:主人と二人の子供がいる会社員です。両親は車で10分の距離に住んでいます。
81歳になる私の父は、とても元気です。
朝夕2kmずつの散歩を欠かさず、周りからも「とても80を過ぎているとは思えない」などと言われておりました。
娘の私から見ても、歩き方や動作はここ20年の間、ほぼ変化していません。唯一、耳が遠くなったことだけが年齢を感じさせるくらいでした。
そんな父の1つ上の兄(伯父)が突然亡くなりました。
伯父の自宅は父の住む所から電車で片道約3時間近くかかる場所にあり、少し前からその近くの病院に入院しておりました。
伯父が亡くなった知らせを受けた父は、夜間でしたが電車もまだ動いている時間ということもあり、伯父が入院している病院に駆けつけました。
父以外の兄弟も集まり、伯父の娘達とともに葬儀の段取りをつけて翌日朝方帰宅。
その次の日にお通夜となりました。
思えばそのバタバタが思いのほか父を疲れさせていたのです。
葬儀場は伯父の自宅の近くでした。
遠方ですのでお通夜には身体の弱い母に代わり私が父と一緒に日帰りで参列しました。
そして翌日、今度は母が父と葬儀に参列しました。
その葬儀が終わってすぐのことです。父が「胸が苦しい」と言い出して、その場から動けなくなってしまったのです。
とりあえず葬儀場の控室で横になったのですが状態は改善せず、救急車を呼ぶことになってしまいました。
あとになって母が「親戚みんなに心配かけるし、霊柩車を見送ったあとに、救急車で見送られることになって」と苦笑いしていましたが、それまで元気だった父だけに大変ショックだったようです。
元来、母のほうが持病を2つも3つも抱えて病院通いの日々を送っており、反対に父は医者と言えば歯医者に行くくらいでしたから、まさしく晴天の霹靂でした。
私も仕事帰りに母から知らされたときは本当に驚きました。「まさか」です。
胸の痛みは不整脈の発作が原因とのことで、父は自宅からはかなり離れた町の病院に入院することになりました。
幸い発作は点滴を打ってもらってすぐにおさまったとのこと。
私は電話口ですぐに駆けつけると言ったのですが、母から「遅くなるから明日になさい、大丈夫」と言われ、翌日病院に行きました。
入院した父も心配でしたが、持病を抱えながら病院通いを余儀なくされた母の身体が何より心配でした。病院までは電車を乗り継いで片道約3時間。これが新幹線の移動とかでしたら、葬儀の際にも入院の際にも宿泊の手配をしたのですが、頑張れば帰ってこれる距離というのが今回のことを引き起こしてしまったのでしょう......。そして病院についてみるとケロッとした様子の父。
私は「どうせ倒れるならもうちょっと家の近くにしてほしかった」と母と笑い合いました。
父が病院に運ばれ、気が動転していた母に代わって手続きをし、寄り添ってくれた親戚には感謝しかありません。
葬儀場から直接病院に来たため着替えもなく、暑くても「病院で喪服姿になるわけにも」と汗をかきながらもコートを脱げなくて困った母。
そんな話を笑いながらできることに幸せを感じました。
何事もなかったかのようにすやすや眠る父と、思いのほか元気そうな母の様子にどれほど脱力したことか。
一週間の入院で済みましたが、入院中は心配で病院に行くものの、何もすることがなく(父が普通に元気だから)トンボ返りを繰り返していた私。
父一人にこんなに振り回されるとは思ってもみませんでした。
退院の日が決まったときには「駅に自転車を置いたままなので電車で帰る」とまで言い出し......。
父も母もこんなときまで貧乏性。
恐れ入って、私と主人とで車で病院まで迎えに行きました。めでたしめでたし。
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