<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ワンタック
性別:女
年齢:52
プロフィール:フルタイムで働く関東在住の普通の主婦です。
スーパーに勤務する友人と話していたら、こんな話をされました。
「コロナ禍で制服に着替える時は密にならないように、着替えの時間割が出来たの! 時間内に着替えなきゃだから、すごく急いで着替えないといけない。
今まではパート同士で食べていたランチも、1席離れて黙って食べるから何だかつまらなくて。パートを辞めようかな」
コロナ禍でもあるので仕方がないことかもしれません。
でも会社側の取り決めで割を食うのはいつも働く方ですよね。
友人は不満そうでしたが、それなら、10年前に私が1カ月だけ働いた地方の機械部品工場は、理不尽なことしかなかったな...と思い出しました。
当時、義両親と同居していた私は、主人が地方転勤になった時、「やっと同居から解放される!」と喜んで主人と一緒に行くことにしました。
同居時代は出来なかったパートをしようと楽しみにしていましたが、求人が少なく希望の仕事がなかなか見つかりませんでした。
毎日ハローワークに通い、機械部品のコイルを作っている工場の事務職を見つけ、直ぐに応募し採用されました。
工場は8時始業ですが、制服を着るので余裕を持って20分前の7時40分に出勤すると、既に工場の機械は動き全員普通に働いていました。
「初日だから良いけど、この時間では遅い。みんな始業の30分前には来ているから」
事務所の女性課長からそう言われた私。
え? ハローワークの求人には8時始業と書いてあるのに? 冗談か本気かわかりませんでしたが「すみません」となんとなく謝りました。
課長に工場内を案内され、最後にトイレの場所を教えられた時、また謎のルールを告げられました。
「基本は午前のトイレは2回まで、午後のトイレは3回までね」
これも冗談か本気かわからず、とりあえず「はい」と元気よく返事をしました。
午前中は私の行う事務の仕事のレクチャーを受けましたが、仕事の内容より出勤時間やトイレの回数制限が頭の中をグルグルしていました。
お昼はランチルームと呼ばれる畳敷きの24畳はありそうな大きな広間で、工場に勤める人達と一緒に食べます。
ランチルームの壁に貼ってある座席表を何かと見ていると、課長がまた説明してきました。
「お昼の座席表は月に1回社長が作っているの。なるべくいろんな人と会話するようにね。来月から印刷はお願い」
「ランチの席を社長が決める?」奇妙に思いながら、まあいいかと聞き流す私。
工場で働く人は12時10分を過ぎてからチラホラって集まってきて、お弁当を食べるとそそくさと工場に帰り、いろんな人と会話どころではありません。
遅くに席に着いた人に聞くと「12時過ぎて直ぐに持ち場を離れるとリーダーに嫌味を言われるし、早く持ち場に戻らないと帰りが遅くなる」と言うのです。
午後に2回目のトイレに行って席に戻ると、課長に「あと1回よ」と言われ、トイレの回数制限は本当で、チェックもされている...お昼に聞いた「リーダーに嫌味を...」も本当なのだろうと、ゾッとしました。
退勤時間の16時になっても誰も帰ろうとしません。
「退勤時間は16時でしたっけ?」
「そうね、でもみんな17時頃までは働いているわね」
とぼけて聞いてみても、課長に冷たく返され更にゾッとしました。
就業規則に書かれていない、まるで軍隊のようなルールに耐えられず、私は1カ月で退職しました。
昭和の頃は、そういう会社もあったようですね。
あの工場はその時から時間が止まっていたのでしょうか...。
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