所得制限は不公平とか差別だとか言いますが、課税は多く支払う能力のある人が多く負担するのがキホンです。この原則を崩してしまうと社会が成り立ちません。年収1200万円を超えるたった5%の豊かな人たちの所得制限撤廃を取るか、それとも生活が厳しい中位以下の世帯の児童手当を拡充に回すのか、財源が変わらないのであれば、両者は天秤にかかりえます。
児童手当がもらえないのは相対的にはかなりの高所得世帯で、別にボーダーラインの人たちが中心ではありません。この人たちに月5000円、つまり年間6万円給付することにどんな政策的な意味があるのでしょうか。消費促進効果も弱く、人気取りにほかならないでしょう。ただし、都内で生活している方で、ボーダーにいる世帯は確かに不公平感が大きいかもしれませんね。都市加算のような仕組みはありえるのかもしれません。
子育て支援というのは、産めよ増やせよみたいな話ではなくて、子どもが生まれた世帯の家計のサポートであって、団塊ジュニア世代が50代になってしまい、親の数が減ってしまっていますから、もはや短期的に人口を増やす政策にはなりません。手遅れ。もちろん、無策だった政治と行政の責任です。人口を増やして消費を維持したり、日本のマーケットサイズを維持したければ、今以上に在日外国人や移民を増やす政策が有力です。
保守派の人たちは忌み嫌いがちですが、考えてみてください。人口が減少して集落や街、里山が維持できず寂れてしまうのがよいか、それとも移民に頼るのがよいか。円安や超低成長経済などによって経済的魅力は減じてしまっていますから、今後日本に来る人には「日本が好き」な人が増えるのではないでしょうか。
そういった人たちの力を借りながら、伝統的な景観や文化を存続させることができないか、改めて考えてみるべきです。ぼくは後者の方が好ましいと考えます。
少子化対策に話を戻すと、日本の場合は少子化対策と子育て支援をごちゃっとひとまとめにして議論しがちで、本来は分けて考えるべきものです。
別の例も挙げてみましょう。住民税を考えてみてください。住民税は支払う額がみんな違うでしょう。でも、多く払っている世帯も、払っていない世帯も、享受しているサービスに大きな違いはほとんどないはずですし、目くじらを立てる人も多くはありません。
最近は子育て対策への関心が高まっていますから、要は児童手当の所得制限は目につきやすいことによる不満なのです。きちんと税や所得制限の意味を考え直したいですし、政府や政治家もきちんと説明するべきです。