仙台市で生まれ、夫と息子、母、猫3匹と「なんにもない」部屋で暮らす人気漫画家のゆるりまいさん。今回お届けするのは、彼女の「不要なものは捨てる」という性格を決定付けた、2011年の東日本大震災後のエピソードの第2回。実家が全壊し、祖母と母と一緒に小さなアパートに引っ越すことになったゆるりまいさん。広い実家においてあったモノを「捨てる」「捨てない」で、ゆるりまいさんと祖母の「板ばさみ」となったお母さまが...!?
前回のエピソード:「本当に必要なものって...」モノにあふれた実家が被災してわかったこと/ゆるりまい
先祖代々の遺品がたっぷり詰まった家を片付ける!
仮の住まいであるアパートに移って、ほっとしたのも束の間。待ち構えていたのは、全壊判定を受けた家の解体に備えた片付けでした。
日時が迫っていたため、のんびりしている余裕はありません。
家には、当時の住人である祖母、母、私の荷物だけでなく、先祖代々の遺品までぎっしり詰まっていて、まさにものが溢れた"汚屋敷"!
大半は瓦礫と化しましたが、それでも大量にあり、そう簡単に終わるはずがありません。
捨てたいvs捨ててはいけない
家を解体したらそのまま新居を建てて、家族みんなで暮らす予定だったので、私としてはこのまま荷物を厳選し、ものが少ない状態で引越しをしたいと思っていました。
家を失ったことは辛いけれど、心を切り替えて、これは不幸中の幸いとばかりに「ものを処分しよう」と思ったのです。
だって全く使っていない、古くて使えない昔のものは、できる限り新居に持ち込みたくなかったからです。
しかし、それは「私だけの意見」でした。
母も私の気持ちは理解してくれたものの、だからといって何でもかんでも捨てていいのか...と躊躇し、祖母に至っては、ご先祖様の遺したものは絶対に捨ててはいけない!と捨てることに反対の姿勢でした。
間に挟まれる母のストレス
「捨てろ!」と強硬姿勢を貫く私と「断固拒否」の祖母。
その間に挟まれたのは、どちらの気持ちも理解できる母でした。
祖母は高齢かつ認知症を患っていたので、実際作業をするのは母と私。「捨てる捨てない」のジャッジは母です。
この時母は、自分の責任の下、本当に先祖代々の遺品を処分していいのか悩んでいたそうです。
今でこそ「ものの少ない暮らし」に慣れた母ですが、当時は「ものは捨てるものではない」と思い続けていた人だったので、当然といえば当然かもしれません。
そこへ、長い間"汚家"に対してコンプレックスを抱いていた私からの「捨てよう!」という圧力は相当なものだったのでしょう。
この時の私は、穏やかに話すことができず、感情的になることも多かったからです。
なんでも取っておこうとする母に、「そんなのいらないから!」「取っていても仕方がないよ!」となんでも捨てさせようとする私。
アパートに帰ったら帰ったで「なんにも捨てていないだろうね!?」と詰め寄る祖母。
次第に片付け作業はピリピリムードの中で行われるようになりました。
一触即発の大ピンチです。
そしてある日、やはりというべきか、大きな喧嘩へと発展してしまったのです。
大喧嘩から生まれた"捨てるルール"
きっかけは、片付けと並行して新居の間取りを決めている時です。
突然母が、新居に「遺品を詰め込む部屋を設けたい」と言い出したのです。
これに対して私も爆発。
「未来永劫使うことのないもののための部屋なんて!」と大喧嘩になったのです。
普段母と私はとても仲良し。
喧嘩することなど滅多にないので、思春期以来の喧嘩だったのでは...と思います(笑)。
結局、夫が間に入ってくれて、お互い冷静になって話し合いをして...
・ 主要な遺品は全部祖母に確認をする
・ 祖母が本当に大事にしているものは、たとえ使えないものでも絶対に捨てない
・ 上記以外で状態のひどいものは処分する
・ 遺品のための部屋は作らない
ということになりました。
祖母の意見を随時聞きつつの作業は、時間はかかるけれど、母の心を軽くしてくれました。
祖母も、片付けの状況が分かるようになると、何でもかんでも「取っておく」とは言わなくなりました。
結局、家の大半のものは処分することに。
しかし、それでも判断がつかなかったものもあり、それらは新居ができるまでトランクルームを借りて保管することになりました。
これは母からの強い希望で、そこに預けている間に考える時間を設けるためでした。
これが功を奏して、ゆっくりとものと向き合う時間ができ、新居が完成したと同時に心からスッキリと処分できたそうです。
トランクルーム代は決して安いものではありませんでしたが、とても大事なことだったんです。
【次のエピソード】 「捨て嫌い」な祖母の「心のハードル」が下がる、年に一度のチャンスって...⁉/ゆるりまい