【虎に翼】原爆裁判に幕。判決文に込められた寅子(伊藤沙莉)たちの「強い思い」と今、朝ドラで読み上げる「意義」

雲野(塚地武雅)は原爆の被害を決して風化させないため、原告代理人として懸命に働くが、志半ばで急死を遂げる。それを受け継いだのはよねと轟だ。

原告の1人として吉田ミキ(入山法子)が法廷に立つことになるが、かつて美人コンテストで優勝したこともあるというミキの顔には原爆によるケロイドが。ミキが「私が喋れば同情を買えるってことでしょ? でも、他の誰かにこの役を押し付けるのも気が引けるしね」と本音を吐露すると、よねは跪き、ミキに寄り添って言う。

「裁判に勝ったとしても苦しみに見合う報酬は得られない」「声をあげた女にこの社会は容赦なく石を投げてくる。傷つかないなんて無理だ」「せめて納得して自分が決めた選択でなければ」

裁判での勝利よりも「個の尊厳」を優先しようとするよねに、ミキは苦しくて辛い思いを伝えたいのだと泣き、轟がミキの手紙を法廷で代読することになった。

「娘を産んだ際、原爆で乳腺が焼かれて乳をやれず手術をして、思うように家事ができなくなりました。夫は私が三度目の流産をした後、家を出ていきました」「ただ人並みに扱われて穏やかに生活がしたい。助けを求める相手は国以外に誰がいるのでしょうか」

傍聴席からはすすり泣きが聞こえた。誰もが同情し、心から原爆を憎んだ瞬間だ。しかし、法律上は国の賠償請求は認められないという結論に至る。

そんな中、寅子の「はて?」が飛び出し、原告の請求棄却だけで終わらせない、判決文に加える文言が練られることになった。

いよいよ結審。汐見は民事裁判では異例だった「主文後回し」で、先に理由を読み上げる。ここに汐見や寅子らの強い思いが見える。

「当時、広島市には、およそ33万人の一般市民が、長崎市には、およそ27万人の一般市民が住居を構えており、原子爆弾の投下が、仮に軍事目標のみをその攻撃対象としていたとしても、その破壊力から無差別爆撃であることは明白であり、当時の国際法から見て違法な戦闘行為である」

この「違法な戦闘行為」という文言を法廷で発し、それが記録に残る意義は大きい。残念ながら損害賠償請求権は認められないとだけ聞くと、傍聴席の記者たちが立ち上がるが、それに続く汐見の強く明瞭な口調に引き戻されるように再び着席する。汐見は言う。

「国家は自らの権限と、自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである」

そして、十分な救済策をとるべきだが、それはもはや裁判所の職責ではなく、「立法府である国会、および行政府である内閣において、果たさなければならない職責」であること、「そこに立法、および立法に基づく行政の存在理由がある」ことを指摘したうえで、こう締めくくるのだ。

「終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげた我が国において、 国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」

今、「戦争できる国」になりつつある日本で、NHKで、朝ドラで、この「判決文」を流すことの意義は極めて大きい。これは戦争だけでなく、一向に進まない自然災害の被災地などの社会と政治のあり方にも共通している。

そして、亡き雲野の依頼で原爆裁判の記録を記事にしたのは、寅子が女子部の頃から見ていてくれた記者の竹中(高橋努)だ。

寅子たちや社会を見守り、見張る竹中の姿はきっと現代を生きる権力者たちに、そして、本来は権力を監視すべき立場の報道に向けられたエールでもあるだろう。

今週のためにこの『虎に翼』が企画されたのではないかと思うほどの意義あるクライマックスだが、ドラマではさらにここから大きな裁判が待っている。最後の最後まで意欲作なのだ。

文/田幸和歌子
 

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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