人生100年時代。仕事や子育てから解放されたら何を楽しみますか?「こんなカッコいい70代は見たことない」と言われる人気YouTuber・ロコリさんのモットーは「人生もおしゃれも、自由で楽しくなくちゃ」。『72歳、好きな服で心が弾む、ひとり暮らし』(KADOKAWA)は、年金月5万円のひとり暮らしの毎日を楽しむコツが詰まった一冊です。築50年の家でインテリアや暮らしを楽しむ方法など厳選してご紹介します。
※本記事はロコリ著の書籍『72歳、好きな服で心が弾む、ひとり暮らし』から一部抜粋・編集しました。
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そして介護が始まった
80代になっても近所の公民館でカラオケの講師をし、毎年発表会を行っていた母。
そんな母もさすがに体力が落ちてきたなと感じたのが85歳になった頃でした。
生徒さんのお月謝をいただいたとかいただいていないとかのちょっとしたトラブルもあり、そろそろ潮時だろうと、15年近く続けたカラオケ教室をやめることになりました。
今思えば、この頃から軽度の認知症の症状が出ていたのです。
最初にあれ? と思ったのは、買い物に行く度に、こんにゃくと歯間ブラシを買ってくるようになったことです。
今までそんなことをしたことはありませんでした。
姉に頼んで病院に連れていってもらうと、やはり「始まっていますね」ということで、デイサービスを頼むことになりました。
施設も検討しましたが、近くに手頃な空き施設がなく、また、見学に行った施設では認知症のお年寄りが大声でわめいていたりしたので、おしゃれで華やかだった母を入れるのは忍びないような気がして、みれるところまでは家でみよう、ということにしたのです。
だんだんと症状がひどくなると、週3日→4日→泊まり、と、デイサービスの日が増えていき、母の体調によっては私も仕事を休まざるを得なくなっていきました。
前にも書いたとおり、認知症の介護というのは、一筋縄ではいきません。
毎日デイサービスに送り出すだけでも一苦労ですし、母が動けなくなったり、予想外の行動をすることに神経がすり減っていきました。
台所に立ちたがる母は、あるときは、ティファールの電気湯沸かし器をコンロにのせて火をつけようとしていました。
そのティファールを水で丸洗いして壊してしまい、さらに電気釜も同じように水洗いして壊したので、使うとき以外は押し入れに隠しました。
それに代わって魔法瓶の水筒を用意して、母の前に置いていました。
トイレに立ったはずがなかなか帰ってこないので心配になって見に行くと、洋式便器に片足をつっこんでいたこともあります。
お風呂と勘違いしたのです。
トイレがつまったので業者さんにみてもらうと、シャツが出てきたこともありました。
トイレといえば、お風呂で大便しようとしていたこともあります。
そのときはびっくりして思わず、「やめてー!」と、悲鳴のように叫んでしまいました。
時すでに遅しでしたが。
でも振り返ればお風呂の件はまだマシでした。
最後の方は、トイレに行きたくなると全裸になるようになり、トイレまで間に合わないので廊下でも部屋でも、ところかまわずもらしてしまうようになったのですから。
そのためにお高めな使いやすい消毒液をまとめ買いしていたので、コロナ禍に入ったときでも困る事はありませんでした。
そしてついに家を抜け出して徘徊し、警察のお世話になったときは、ああ、もう限界だ、と思ったものです。
この頃には施設に申し込んでいましたが、順番待ちですぐには入れず、ひたすら耐える日々でした。
この頃を思い返すと、もっと優しくしてあげればよかったと後悔する気持ちがあります。
ただその当時は必死でしたし、実の親子だからこそ複雑な思いがあって、いい顔ばかりはできなかったなあと思います。
それでも、ちょっと心あたたまる思い出も残っています。
母の部屋のレースカーテンを優しいペールトーンの柄物にしたときの反応は、「ふーん」とそっけなかったのですが、縁側のカーテンを換えたときは驚くような反応を見せたのです。
オレンジやピンクなど、きれいな色が好きだった母のために、子ども部屋のようなかわいらしいプリントのカーテンに換えたら目を輝かせて「あらーおしゃれね〜。ハイカラになったやん」とそれはそれは喜んでくれました。
ダイニングテーブルにIKEAのカラフルな布をかけたときも、母の好きなオレンジやグリーンが入っていたので、きれいきれいとハイテンションで喜んでいました。
もともと華やかな色が好きで、ピンクやオレンジの服もなんの抵抗もなく着こなしていたので、認知症ではあっても美的センスには最後までこだわりがありました。
私が、お年寄りがはくニットジャージのようなズボンを「暖かくてはきやすそう」と思って買ってきても「こんなばあちゃんみたいなの」と言って絶対にはかず、たっぷりとストレッチの入ったジーンズばかりはいていました。
母を連れて夏祭りに出かけた日のことはよく覚えています。
その日は私ももう料理を作るのもめんどうで、夏祭り会場に母を連れていき、やきとりでも買って夕食にしようと思っていました。
ところが母は、断固として「行かん!」と、なだめてもすかしても動こうとしません。
しまいには大げんかになり、母が「わかった。もうあんたの言う通りにする!」とベッドにあった本をバーンと投げつけ、やっと言い争いが終わりました。
険悪な雰囲気でしたが、なんとか母を車椅子に乗せて会場に行くと、盆踊りが始まっていました。
「ここで待っとってね」と車椅子を隅に寄せ、夜店に買い物に行こうとしてふと振り返ると、母が必死で車椅子から降りようとしています。
周りの人が一生懸命手伝ってくれて車椅子を降りた母は、そのままトコトコと盆踊りの輪に入っていき、なんと、踊り始めました!
会場の雰囲気と、久しぶりにお友達と会ったことで急に元気が出たようでした。
やっぱり音楽や踊りが好きだったんですね。
その後は機嫌よく、「今日は楽しかった」と帰ることができました。
こんな介護の日々は、丸10年続きました。
写真:林ひろし