介助が必要なのに「誰にも迷惑をかけていない」と言う99歳の養父。どうすれば.../岸見一郎「老後に備えない生き方」

哲学者・岸見一郎さんによる「老い」と「死」から自由になる哲学入門として、『毎日が発見』本誌でお届けしている人気連載「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「他者に生かされる」。人間関係の悩みは尽きないものですが、同時に生きる喜びの源泉でもあります。自己と他者との関係を、そして読者からの相談を、岸見さんはどのように考察されたのでしょう――。

※「」の太字部分が読者からの相談です

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人に頼ろう

「物や人に執着しない、人には頼らないように心がけている。でも、一人では生きていけない。家族五人で生活しているが、これぐらいはしてくれてもと思わない、期待しない、頼まない。そうすればうまくいく。自分でできることはなるべく自分で」

人に期待すると、その期待に応えてもらえなくて多かれ少なかれがっかりすることがある。そうであれば、できることは人に頼らないようにするというのは正しい生き方だが、たしかに一人では生きていけないし、今はできることであってもできなくなる日がくる。そうなった時に、人に頼ることは決して迷惑をかけることではない。親の介護をした経験からいうと、できないことをできないといってもらえる方が家族はありがたい。かつて親から援助を受けて育った子どもが今度は親の援助をするだけである。これは親だからそうするべきだというのではない。親にとって、自力では何もできず親から不断の援助を必要としていた子どもを育てることが、ただただ苦痛だったわけではないだろう。貢献感はあったであろうし、子どもから与えられる幸福が日々の苦労を癒したはずだ。かたや、今となっては、親が自力で多くのことができなくなったとしても、子どもはその親を介護する中で、親から幸福を与えられるのだ。

「九十九歳の養父。ヘルパーさんや特に近所に住む義弟の妻の手を必要としているにもかかわらず、一人でできる、誰にも迷惑をかけていないと発言。どのように対応していいのか悩んでいます」

自尊心が強い人は世話をしてもらうことを潔しとしないので、自尊心を傷つけるようなことはいわないように努めなければならない。かつて父がトイレにたどり着く前に失禁するようになった時、「それなら尿瓶を使えばいいではないか」といったら父は怒った。自分でも困ったことだと思っていたに違いないので、どうすればいいか一緒に考えるべきだったと思う。

相談のケースでは、実際には援助が必要なので援助を求めようとされないことを責めるのではなく、「怪我をしないか心配だ」というふうに介護する側の気持ちを伝えてみてほしい。

「今、気になっているのは介護です。両親は近くに住んでおり、妹と交代で行ったりしています。私は仕事もしており、自分の時間が持てなくなることがあり、少しモヤモヤしています。その時の心のあり方についてお伺いしたいです」

介護する人は受け入れがたいことかもしれないが、迷惑をかけられているとは思わないことが大切である。親に感謝されようとは思わず、一日共に過ごせたことに対して「ありがとう」といえるようになると関係のあり方は変わってくるだろう。

自分の時間が持てなくなることについては、子どもだけで介護をすることは難しいのでデイケアなどを利用することを勧めたいが、おたずねの「心のあり方」についていえば、親と共に過ごす時は今こんなことをしている場合ではないと思い始めると焦燥感が募るので、親といる時はその時間に集中すること。

父の介護を始めた時は、私自身が病後、仕事を十分できなかったのが少し元気になってきてまた外での仕事を増やそうと思っていた時だったので、また社会に出られなくなったと思ってしまったが、その後人生の巡り合わせで晩年の父とこうして毎日過ごせることをありがたいことだと思えるようになった。最初からそう思えたわけではなかったが。父は私の人生の行く手を遮る存在ではなく、私は父に生かされたのだと今は思う。

ぜひ、じっくりと読んでみてください。岸見一郎さん「老後に備えない生き方」その他の記事はこちら

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年12月号に掲載の情報です。

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