一人暮らしに慣れたものの、時折「孤独感」が襲って来ます。対処法はありますか?/岸見一郎「老後に備えない生き方」

哲学者・岸見一郎さんによる「老い」と「死」から自由になる哲学入門として、『毎日が発見』本誌でお届けしている人気連載「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「他者に生かされる」。人間関係の悩みは尽きないものですが、同時に生きる喜びの源泉でもあります。自己と他者との関係を、そして読者からの相談を、岸見さんはどのように考察されたのでしょう――。

※「」の太字部分が読者からの相談です

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孤独

「一人暮らしに慣れたものの、時折、孤独感が襲ってきます。何か対処法があったら教えてください」

心筋梗塞で倒れ救急車で搬送された時に、私は死ぬことが怖いというより、人はこんなにあっけなく死ぬのだと驚き、一人で死んでいくことを本当に寂しく思い、強い孤独に襲われた。

父がいつか「どう考えても、これから先の人生の方が短い」と嘆息したことがあった。父がこのようにいった時も孤独だったのだろうと今はわかる。孤独感は残念ながらどうすることもできない。一旦、この感情が起こればそれを抑えることは難しく、空を流れていく雲を眺めている時のようにやり過ごすしかない。雲を掴んで消すわけにはいかない。しかし、雲はいつか消え、必ず、また蒼空は戻ってくる。

なぜ孤独になるのか。人と結びついているからである。一人で生きているのであれば、孤独を感じることはない。他者との結びつきを意識すればこそ、時に孤独になる。

肉親や長年連れ添ったパートナーと死別した時に喪失感を持たない人はいない。死別した人は自分の一部だったのであり、自分とのつながりの中にあった人が死ぬと、自分の人格の一角が消失したと感じるからである。

この喪失感は長く続く。それでも、やがて喪失感は徐々に消えていく。いつか死んだ人のことを忘れている自分に気づくようになる。

いつも忘れることなく、いつも近くに感じて生きる人もいる。前に(第16回)書いたように、亡くなった人はもはや知覚的に知ることはできない。身体に触れたり、姿を見たり、声を聞いたりはすることはできない。

しかし、遠く離れて暮らしている家族や友人は会えないけれど、思い出す度にその存在をリアルに感じられないだろうか。無論、亡くなった人とは二度と会えないが、思い出している時の気持ちは生者も死者も同じである。

今、私も孫と楽しい時を過ごしている時、ふいにこの先一体いつまで生き長らえることができ、孫の成長を見届けることができるのかと思うことがある。

対処法があるとすれば、過去も未来も手放し、今日という日を今日という日のためだけに丁寧に生きることである。先のことは誰にもわからないのであれば、なおさら今を生きなければならない。亡くなった人を思い出すのは「今」である。振り返れば後悔することもあっただろうが、今は努めて共に過ごした日々の懐かしい出来事を思い出してほしい。

「主人と私は共に七十七歳。喧嘩しながらも元気で暮らしています。どちらかが先に死んで一人になったら寂しいだろうと今から考えるとつらくなります。夜眠れなくなる時があります」

今は考えないこと。先にも書いたように、今の二人の結びつきが強いので、一人になった時の寂しさに意識が向くのだが、先のことを考え不安になっても、一人になる日は確実にくる。けれども、それがいつなのかは誰にもわからない。

そうであればなおさら今を充実させて生きるしかない、何か特別なことをしなくても、穏やかに過ごせることだけを考えて。

ぜひ、じっくりと読んでみてください。岸見一郎さん「老後に備えない生き方」その他の記事はこちら

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年12月号に掲載の情報です。

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