「命にかかわる病気をどう告げるか」/岸見一郎「老後に備えない生き方」

『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「他者の死をどう受け止めるか」です。

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病者にどう声をかければいいのか

母が脳梗塞で入院したのは四十九歳の時で、母が若かったのと、この病気についてよく知らなかったこともあって、すぐに退院できるだろうと私も父も楽観していたが、二度目の発作を起こしてからはみるみる悪くなっていった。

父と私が母の病状について医師から説明を受けるために母を一人残して病室を出た。医師の説明を聞き、病室に戻った時、母は怖い表情をして私たちを睨みつけた。なぜ母を残して出ていったか母はわかっていたのである。

その日、医師から転院を勧められたのだが、母に意見を求めず、父と私とだけで今後の治療方針について相談していることを知った母は激怒した。

母自身が思っているほど病状はよくはなかったのだ。

母がそのことを知ると不安になったり落ち込んだりするのではないかと思って、母には何も知らせなかったのだが、他ならぬ母の病気なのに母自身が知らず、治療の方針についても家族が決めるというのはよく考えるまでもなくおかしかったのである。

病気をどう受け止めるかは母の課題である。私や父が母に代わるわけにはいかないということである。

それなのに、母が真実を受け止められないと思い込んだのは間違いだった。私は母が自分の置かれている状況を受け入れられるとは信頼していなかったのである。

とはいえ、実際に本人に病気について包み隠さず伝えることは難しいというのも本当である。 

叔母が乳癌を患った時、私の父は自分の妹の病気のことを知らされて大きなショックを受けた。東京まで医師の説明を聞きに行った父は長く塞ぎ込んでいた。私には何も話さなかったのだが、父の枕元にはたくさんの医学書が置かれるようになったのを見て、私は父が何のために上京したのかを理解した。

後に、叔母は自分の病気について本当のことを知らされていなかったと聞いた。

当時はこの病気は治癒が困難なので、本人には告知しないのが通例だったようだが、告知されていなかったら手術を受ける時に何のために手術を受ける必要があるのか説明するのに家族は難儀しただろう。

私がこの時親から叔母の病気について何も教えられなかったのは、私に心配をさせまいと思ったからだろうが、圏外に置かれたようで私は寂しい思いをした。信頼されていないと思ったからである。

本人の課題だからといって、どんな場合も告知するべきだと簡単にいうことはできない。

しかし、ホスピス医療に関わる山崎章郎(ふみお)医師はいう。

「確かに、このような重く、つらい情報を担いきれない人もいるだろう。だが、同時にそれらのつらい運命を受け入れ、自分なりに乗り越えていく人たちも確実に存在しているということを忘れてはならない」(『病院で死ぬということ』)

もちろん、自分の命がこの先あまり長くないということを知って動揺しない人はいないだろう。私の友人の母親は自分がこの先長くないということを知った日、一晩泣き明かしたという。

医師の告知通りになると決まっているわけでなく、医師の予想をはるかに超えて生きることがあることや、完治しないまでも寛解(かんかい)することもあることを知っていても、余命いくばくもないと知らされた時、それを受け止めるのが難しいことは容易に想像できる。

病気になるかならないかは自分の権内(けんない)にはない。それを避けようと思って避けられることではない。しかし、病気になった時にそれをどう受け止めるかは自分が決めることができる。そうはいってみても、医師の告知を動揺することなく、平静に受け止めることは難しいだろう。 

死は怖いのではなく悲しい

どんな病気もよくなることが確実にわかっていれば、病名を告知されても怖くはない。無論、今日、病名を告知するのは治癒することが予想されるからである。

それでも、どんな病気も必ずよくなるとは限らない。死に至ることもありうるので、どんな病気であっても怖い。

しかし、死は怖いと多くの人はいうが、実際には誰も死を経験したことはないのだから、死がどういうものかわかっていなければ、そもそも死を恐れることはできないはずである。

はっきりしていることは、死がどのようなものであっても、それが別れであるということである。

「あの世とは、いいところらしい。逝ったきり、誰も帰って来ない」(髙山文彦『父を葬おくる』)

私はこの小説の一節を読んで、こんなふうに考えることができることに感心した。

哲学者の三木清は、親しい人が死ぬことが多くなるにしたがって、死の恐怖は反対に薄らいでいくように思われるといっている(『人生論ノート』)。 

いつか七十代の男性が最近妻を亡くしたという話をしているのをテレビで観たことがある。

「仕事なんかどうでもよかったのだ」というその男性の言葉から、彼が妻をこよなく愛していたことがわかった。

彼にとっては死ぬことは今や少しも怖くないのかもしれないと思った。生きている限り、亡くなった妻に会うことは決してできないが、死ねば会えるかもしれないという希望を持つことができるからである。

三木は次のようにいっている。

「私にとって死の恐怖は如何にして薄らいでいったか。自分の親しかった者と死別することが次第に多くなったためである。もし私が彼等と再会することができる―これは私の最大の希望である―とすれば、それは私の死においてのほか不可能であろう。仮に私が百万年生きながらえるとしても、私はこの世において再び彼等と会うことのないのを知っている。そのプロバビリティは零である」(前掲書)

もちろん、死ねば必ず死者と会えるかといえば確実ではないが、確率が零であると断言することはできない。

この世で会えるか、あの世で会えるか、どちらかに賭けなければならないとすれば、あの世で会う方に賭けるほかはないと三木はいう。

他者の死は「不在」である。

他者は私たちの前からいなくなる。その意味において、旅に出た人と何年も会わないのと変わりはない。唯一の違いは、生きている人であれば旅から帰ってくれば再会する可能性があるのに対して、死んだ人は永遠の不在であるということである。

生者が死者と同じところへ行けば再会できるかもしれないが、そのような可能性に賭ける以外に何かできることはないだろうか。

 

次の記事「病、死...「なぜ自分が?」と思わない「過去を手放す」生き方/岸見一郎「老後に備えない生き方」(2)」はこちら。

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。

 

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年4月号に掲載の情報です。

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